コミュニケーションが大の苦手という人がいます。
「昔から会話が苦手で悩んでいる」
「コミュニケーション能力が絶望的」
「雑談も何を話していいかわからない」
コミュニケーションが苦手であることを「コミュ障」と言います。
「コミュニケーション障害」の略であり、元はネット用語ですが、普段の日常会話でも使われることが増えました。
あまりにコミュニケーション能力が低いと、日常に支障を来すこともあります。
改善のしようがないほど、根っからのコミュ障という人もいるでしょう。
では、コミュニケーション能力がないと生きていけないかというと、そうではありません。
たしかに日常ではコミュニケーション能力を必要とする場面が散見されますが、その限りではありません。
コミュ障であっても生きていける道があります。
直せないことを無理に直す必要はありません。
直せないことは直せません。
苦手なら苦手でいいのです。
どうしようもないほど絶望的なら、いっそのこと開き直って、コミュ障として生きていきましょう。
代替策や回避策に知恵を出し、コミュ障でもやっていける道を進めばいいのです。
「コミュ障では仕事ができない」と思っているなら大きな誤解です。
対面ではなく、メールやチャットでやりとりをすればいいことです。
文字として残るので、確認も便利になります。
人と接しない仕事に就く方法もあります。
世の中には、人と接しないでできる仕事が山ほどがあります。
どうしても対面が必要な場面であれば、コミュニケーションが得意な人に代わってもらえばいいことです。
一般的にコミュ障の人は、別の点で秀でていることがあります。
欠陥した能力があっても、ほかの部分で秀でていることが少なくありません。
突出した能力を最大限に生かして仕事をすれば、普通の人以上に成果を発揮できるでしょう。
自分に合った仕事を見つけ、自分に合った土俵で才能を発揮すれば、大きな成果を残せるはずです。
コミュニケーションが得意な人より、高い成果を残せる可能性もゼロではありません。
「コミュ障では恋愛ができない」と思うのも誤解です。
コミュ障なら「中身」で勝負すればいいのです。
不器用でも話が下手でも、優しさや思いやりがあれば、好かれます。
コミュ障でも、きちんと中身のある人であれば、魅力を感じてもらえます。
最初はメールやSNSのつながりなど非対面から始めていき、少しずつ魅力を伝え、中身を理解してもらえればいいでしょう。
コミュ障でも生きていける場所も仕事もあります。
コミュ障で落ち込む必要はありません。
コミュ障に劣等感を覚えるのは、人と比べるからです。
人と比べるのはやめてください。
比較は、不幸を招く悪習慣です。
人にはそれぞれ得手不得手があり、コミュニケーションが得意な人もいれば、苦手な人もいます。
コミュ障も「自分らしさ」です。
苦手なら苦手と認め、代わりの方法や影響の少ない方法を模索すればいいことです。
コミュ障でも仕事はできます。
コミュ障でも幸せになれるのです。