幼いころ、母と一緒にテレビを見ていると、突然母が泣き始めました。
まだ幼い私は、驚きました。
テレビの番組内容に心を打たれて泣いているようでしたが、番組のどこが感動するのかよくわからなかった。
人の死に関する内容であり、たしかに悲しい内容ではありましたが、さすがに泣くほどのものではないように感じました。
当時、なぜ母が泣いているのか理解できなかった。
「自分には感じていない何かを感じている」のはわかりましたが、何を感じているのかは子どもの私にはまだわかりませんでした。
まだ身内の死を一度も目の当たりにしたことがなかった私は、死についてのイメージがよくわかりませんでした。
おそらく母は、過去の誰かの死を思い出していたのでしょう。
過去の誰かの死と番組とが重なり、こみ上げてくるものがあったのだと思います。
それが母の器の大きさです。
器が大きい人は、何事も動じず、いつも胸を張り、堂々としているようなイメージがあります。
涙なんて無縁というイメージがありますが、実際、そうではありません。
器が大きい人ほど、実はよく泣きます。
それも、べそべそとした泣き方ではなく、わんわんとした泣き方です。
滝のように涙を流します。
弱いからではありません。
器が大きいから泣きます。
大人になれば、涙もろくなると言われます。
自分の過去と重なることが増えるからです。
長く生きていると、楽しい経験や嬉しい経験はもちろん、つらく悲しい経験などが増えます。
さまざまな経験を積み上げることになる。
経験することで理解できる範囲が広がり、他人の話を聞いたときに泣けてきます。
過去の自分と重なり、感情移入しやすくなるからです。
器が大きくなると、必ず感動しやすい体質へと変わります。
話を理解できる範囲が広がって、感動しやすくなるのです。