「職場の人間関係にうまくいっていない」
つい昨日、ある人から人間関係の悩みについて相談がありました。
「どうしたの」と聞くと、待っていましたと言わんばかりに話が始まりました。
「Aさんは私のことをこう思っている。Bさんは私のことをこう思っている。私はどうしたらいいのだろうか」
話をよく聞くと、別に職場で嫌がらせにあったり、いじめられていたりというわけではありません。
ただ、どう見られているのかわからず、妄想を膨らませていました。
多くの人からどう見られているかを気にしすぎているようです。
一方、私は彼女の素晴らしい客観的な視点に驚きました。
やはり人は、まず自分に一番注意を向けます。
それはほとんどの人がそうですが、彼女の場合は、他人からどう見られているのかという感心を、人一倍強く持っているようでした。
しかもほかの人の行動や見方を、詳しく分析していました。
そういう細かいところを気にする性格にも悩んでいる様子でした。
実はこういう人は、素晴らしい長所を持っています。
短所ではありません。
あらゆる短所は、必ず長所になります。
少し見方や使い方を変えるだけです。
他人からどう見られているかを気にするタイプなら、その能力を生かせることをすればいい。
たとえば、作家などに向いていることでしょう。
他人からの視線がよく見えている人が執筆をすれば、客観的で具体的な内容が書けるはずです。
主観的な見方だけでなく、客観的にどう見えているのか。
その力を生かせる方法で仕事を進めたり、全力で発揮できる分野に転職したりすればいい。
しかし、逆もあります。
あらゆる長所は、短所にもなりえます。
たとえば、私は物事を深く考えられるという性格があります。
私はこれを長所だと思っていますが、短所でもあると思っています。
物心ついたときからこういう性格で、なぜかと言われても、私にもよくわかりません。
知り合いからは「普通の人はそんなことまで考えていないよ。深く考えられるんだね」と感心してくれます。
「考えすぎだよ」と言われると、また考えすぎてしまうタイプです。
こういう性格だからこそ、今こうやってたくさんの文章を書けていますが、そう単純な話ではありません。
見方を変えると、短所になります。
私は、深く考え込む性格のため、頻繁に泣いたり落ち込んだりします。
考えるのが疲れて嫌になっても、また考えてしまう。
留学中、アメリカで一人暮らしをしていました。
部屋の窓を見るたびに「飛び降りれば楽になるだろうな」と、縁起の悪いことを考えていた時期もあります。
芥川龍之介や太宰治は自殺で亡くなりましたが、気持ちは少しわかります。
おそらく私以上に深く考えてしまい、自分の操作を誤ってしまったのでしょう。
だからこそ素晴らしい作品を残しましたが、惜しんでも惜しみ切れない死でもありました。
ささいなことを深く考える性格は、長所にもなりますし短所にもなります。
いろいろ考えましたが、ある考えに行き着き、落ち着きました。
「どうせ死ぬなら、今の性格を最大限に発揮してからにしよう」
私の場合、死ぬことは結構前向きに捉えています。
人間、誰でも最後は死ぬからです。
違いと言えば、遅いか早いかくらいです。
しかし、ただ生まれてしまったから、何もせずぼうっと生きるくらいなら、何か人の役に立つことをしてからこの世を去りたい。
食べて寝るだけの生活は嫌です。
せっかく生きていますから、生かしたい。
短所は長所として生かし、長所はもっと伸ばせるような生き方を考えました。
私は、サイトを吐き出し続ける場所として活用しています。
今サイトがなくなれば、私はどうしていいのかわからず、芥川龍之介や太宰治のように自殺してしまうかもしれません。
性格は変えるのではなく「人や社会のために生かすような形」として活用すればいいのです。