私はアメリカに留学していたころ、中国語を勉強していました。
なぜ中国語を勉強しようと思ったかというと、友人の紹介があったからです。
ある日、友人の洋平と一緒にキャンパスのテラスで食事をしていると、大きな声で手を振る人がいました。
「ヨンピン。ニーハオ(洋平! 元気かい)」
「ヨンピン」というのは、その友人の名前「洋平」の中国語の発音です。
洋平は驚いて、中国語でなんて返事をしていいのか絶句していました。
洋平はリャオ先生の授業の卒業生でした。
先生が名前を覚えてくれていた嬉しさと、突然話しかけられ、中国語が思い浮かばず、言葉に詰まっていました。
私は「温厚な雰囲気の先生だ」と思いました。
底抜けに無邪気な笑顔がすてきな先生でした。
洋平も「あの先生はおすすめだよ。授業がとてもわかりやすい」と勧めてくれました。
そうした経緯で、私はリャオ先生の授業に興味を抱き、中国語を勉強し始めました。
中国語クラスへ行くと、すでに生徒はいっぱいでした。
リャオ先生の評判はすでに学校で広まっていて、自分以外にも受けたがろうとする生徒がたくさんいました。
リャオ先生は、40代後半の男性講師でした。
いつもにこにこしていて、明るい先生でした。
語学の勉強で一番の障害になるのは「恥ずかしさ」です。
語学の授業というのは、言葉にとらわれがちです。
変な発言をしていないか。
間違った文法を使っていないか。
発音がおかしくないか。
語学の勉強をするために来ていますから、恥ずかしがり屋はそういうところでつまずきます。
私も恥ずかしがり屋であり、発言に尻込みをしていた1人でした。
しかし、リャオ先生の授業は違いました。
先生には口癖がありました。
「很好」です。
日本語に訳すと「いいね」「なるほど」という意味です。
先生は、生徒のあらゆる発言でも、まず「ヘンハオ」と言って、肯定します。
先生は「素晴らしい発言をした」という意味ではありません。
「恥ずかしい気持ちを乗り越えてよく発言できたね。その勇気は素晴らしいよ」という意味の「ヘンハオ」です。
そういう意味でヘンハオを言っていると、授業を受けている生徒たちへは自然と伝わります。
先生が必死に生徒たちに教えようとする熱意は、自然と生徒に伝わります。
たどたどしい発言も、間違った発音も、すべて「ヘンハオ」と笑顔で返答してくれます。
すると、嬉しいです。
「間違ってもいいんだ。もっと発言したいな」
イントネーションが違っていたり、間違った使い方をしたりすれば、その都度リャオ先生はにこにこしながら指摘してくれます。
発言する内容そのものを否定するときも、まず「ヘンハオ(なるほど、いいね)」と発言してから「でも」と言って反論します。
「この先生からもっと授業を教わりたい」
そう思わせる授業でした。
だから、リャオ先生の授業はいつも人気でした。
リャオ先生は、私の人生を変えてくれた人です。
人間は、発言を受け入れてもらえると「もっと発言がしたい」という気になります。
先生は、生徒たちに「発言したい」と思わせる授業をする天才でした。
語学の勉強では、生徒に「もっと発言したい」と思わせれば、勝ちです。
生徒たちは、自然とアウトプットしたがり、そのために勉強を積極的にするし、語学力も自然に向上します。
リャオ先生から、およそ2年間、中国語を学びました。
最後には、生徒全員が中国語でプレゼンができるほどになっていました。
これもリャオ先生の「ヘンハオ」のおかげだと思っています。