高校1年のころ、国語の先生に「豆ちゃん」というあだ名の先生がいました。
もうおじいさんに近い年齢の、ベテランの男性教師でした。
いつもにこにこしている、温和な先生でした。
髪の毛は1本もなく、つるつるの頭が豆のようだったので、自然とそういうあだ名がつきました。
先生には、授業中、口癖がありました。
生徒に「わかるかな」と質問を投げた後「最初からこれができたら天才だ」という口癖がありました。
必ず口にするので、今でも耳に残っています。
それは先生にとって「間違いは誰にでもある。間違ってもいいから勇気を持って発言しなさい」という意味でした。
間違いに対して寛大でした。
「誰でも最初は間違える。勇気を持って自分なりの発言をしなさい。それができれば天才だ」という意味でした。
人間ですから、過ちは必ずあって当然だということでした。
これが先生の優しさでした。
事実、温和な先生で、怒っているところを見たことがありません。
生徒から豆ちゃんと呼ばれても怒らないくらいです。
今思えば、なんという失礼な発言かと思いますが、それを受け入れられるくらい、器の大きな先生でした。
先生は、生徒がどんな場違いな間違いをしても、にこにこしています。
普段からにこにこしていますが、生徒が間違って答えてもにこにこします。
さすが、生徒の扱いに慣れたベテラン教師といった感じでした。
先生の授業は、不思議とリラックスした雰囲気が出ていました。
「間違えてはいけない」ではなく「間違えてもいい」という雰囲気があったため、生徒の発言が多い授業でした。
むしろ先生より、生徒の発言のほうが多いくらいでした。
「間違えてもいい」と考えるとき、人は活発化します。
国語の授業を通して、人生哲学を教えてくれていたのです。