人に囲まれて生きている私たちは、他人の意見によって決め付けてしまうことがよくあります。
「あの人は、性格が悪いらしい」
「あれをやっても、何の効果もないらしい」
「あそこは思ったより汚いところだったらしい」
このように「~らしい」と他人の話を自分の話にすり替えて、あなたに言ってきます。
しかし、それらの言葉をあなたは本当に信じる必要はありません。
参考程度くらいにするのはいいでしょう。
しかし、間違っても、それらをすべて本当に信じる必要はありません。
他人が経験したり感じたりしたことは、他人がしたことであって、あなたが経験したことではありません。
他人が「思ったより汚かった」というところでも、あなたがそこにいけば「思ったよりきれいだった」と感じるかもしれません。
価値観というのは人それぞれであり、また感じ方も人それぞれです。
実際に本当のことを知るためには、やはりあなたが体験することが必要です。
自分が経験し感じて得られたことが、一番信用できる情報となります。
自分が体験したことなら「~らしい」とか「~だと思う」という不確定な表現はなくなります。
はっきり「~です」と言い切ることができるようになります。
私はいつも文章を書くときに気をつけていることは、自分が経験したことだけを書くということです。
自分が経験したことでないと、自信を持って書くことができないからです。
自分が経験をしたこともないことは、書かないようにしています。
わからないからです。
本を読んだり他人から話を聞いて客観的に「知る」ことはできても「わかる」ことはできません。
「知る」と「わかる」には、大きな違いがあります。
話や本を読んで入ってくる情報は、まだ「知る」で止まっています。
しかし、実際に自分が体験して得られたことは「知る」から「わかる」へと変わります。
「知る」と「わかる」とでは、似たような意味でも実際は全然違うことなのです。
私はいつも自分が経験したことを元に文章を書いているため、文末では必ず「~です」「~ます」という言い切る形になっています。
これは自分が経験して得られたことなので「~です」「~ます」と自信を持って言い切ることができているのです。
経験したことのない話をするときには「~かもしれない」「~だと思う」「~でしょうか」という曖昧な表現になっています。
その多くは自分がまだ経験したことでないために、書いている本人でさえも自信がないことが垣間見えるところです。
どこかで頼りない文章になっています。
自分が体験したことほど、頼りがいがある情報はありません。
自分が身につく知識や知恵は、必ず体験から生まれてきます。
一般的に見てどうなのかを考えていると、それこそ「一般的」という外の情報に振り回されて意見を述べてしまうことになります。
自分が体験したことほど頼りがいのある存在はないというのに、不確定な他人の意見に振り回される必要はないのです。
この「自分が経験したこと」を元に行動していくほうが、力強く、自分らしく生きることができるのです。