判断に迷うのは、余計なことを考えているからです。
「損するか得するか」
「簡単か難しいか」
「評価が落ちるか落ちないか」
「プライドが傷つくか保てるか」
「世間体や体裁が悪いか良いか」
ごちゃごちゃ余計なことを考えるから、心が濁って邪念が生まれます。
邪念が生まれるから、簡単なことに迷ったり、判断を誤ったりするのです。
どうするべきか迷ったときは「人として正しい行いかどうか」という基本に立ち返ることです。
正直に話すか、嘘をついてごまかすか、迷う場面があるとします。
人として正しい行いを基準に考えれば、正直に話すのが良いことがわかります。
きちんと謝るべきか、何も言わず無視すべきか、迷う場面があるとします。
人として正しい行いを基準に考えれば、きちんと謝るのが良いとわかります。
雲隠れをするか、公の場で正直に事実を話すか、迷う場面があるとします。
人として正しい行いを基準に考えれば、公の場で正直に事実を話すのが良いとわかります。
最低限の仕事で済ませるか、手間暇がかかってもきっちり仕事をやりきるか、迷う場面があるとします。
人として正しい行いを基準に考えれば、時間がかかってもきっちり仕事をやりきるのが良いことがわかります。
大変なことや面倒なことであっても、難しいことや損をすることであっても、人として正しい行いなら自信を持って行えます。
神様に天から見られていると思うことです。
きゅっと背筋が伸びます。
倫理・道徳に背いたことはできないという緊張感が生まれるのです。
もちろん正しい行いをしたからといって、実際にうまくいくどうかはわかりません。
しかし「人として正しい行いをした」という自負はできます。
ピンチを乗り越えるには、人として正しい行いをするのがベストです。
人が手を貸してくれます。
神様も手を貸してくれます。
正しいことをしているという自信のおかげで、本来の実力も発揮できます。
たとえかっこ悪いことであっても、人として正しい行いするのが、結果としてうまくいくのです。