「この子、目つきが悪いですね」
私は小学生のころ、先生が何気ない一言が心に突き刺さり、今でも忘れられません。
一方、嬉しい言葉が耳に残っていることもあります。
「あのね。○○さんが、貴博君のこと、好きなんだって」
中学生のころ、あるクラスメートからの愛の告白も、いまだに耳に強く残っています。
遠い昔の話ですが、テープで録音したかのように、そのときの声を再現できます。
私たちは、目からの記憶より、耳からの記憶のほうが強く残ります。
その理由は、生物の進化の過程から説明できます。
今でこそエジソンによって電球が発明され、夜でも昼のように明るいですが、昔は夜になれば真っ暗でした。
真っ暗になれば、どんなに視力がよくても関係なく、何も見えなくなります。
たとえ、日中の明るい場所でも、目で前は見えても、後ろを見ることはできません。
目はたしかに素晴らしい感覚器官ですが、確認できる範囲と時間は限られています。
そんな見えないときに、敵が襲ってくれば大変です。
場合によっては、生命に関わります。
生物は生命を維持するために、存在の確認をして、身の安全を確保しなければなりません。
そんなとき頼りになるのが「耳」です。
耳は昼夜関係なく、1日中、音を関知できます。
どんなに真っ暗でも、音がすれば、そこに何かがいることを察知できます。
目とは違い、360度上下左右すべての方向から、情報を収集できます。
後ろに何かがいることを、音によって確かめることができます。
ゆえに、人間だけでなく、鳥や魚も、目より耳が発達しています。
それは、生き残るために必要だったからです。
そうした進化の歴史から、記憶力も「目からの記憶」より「耳からの記憶」のほうが印象によく残ります。
読書をするとき、目から字を読んで、物事を覚えようとします。
しかし、そんなとき、目より耳からのほうが記憶力は高くなることを思い出しましょう。
たとえば、音読をした声を録音してみましょう。
最初の録音のときは、手間がかかり大変かもしれませんが、2回目3回目からは、手間が省けます。
録音さえできれば何度でも再生ができて、読むより楽に勉強ができます。
なにより、音で聞いたほうが覚えやすくなります。
私は日本国憲法の勉強をしたとき、本を読んで勉強すると挫折しましたが、音声で学んだときは容易に学べました。
字で読むと、難しい漢字やわかりにくい表現が登場してうんざりしますが、耳で聞くと、そうした壁が取り払われます。
勉強は目でするものだという常識を取り払ってください。
耳で勉強したほうが、はるかに効率的、かつ効果的なのです。