水道管の中にさびができていると、水も勢いよく流れ出てきません。
本来のように水が勢いよく流れ出てくるためには、まずさびを取らないと、水は少ししか出てきません。
実は直感でも同じことが言えます。
あなたが10年以上も生きていれば、それだけでも過去の経験の蓄積はかなりのものになっています。
それだけの経験を積んでおきながら「なんとなく」という直感が働かないわけがないのです。
もし思うように直感が働かなければ、たいていの場合さびが詰まった水道管と同じように、何かごみが詰まっているわけです。
それらのほとんどは「見栄」という詰まりごみです。
人間には人からよく見られたいという見栄があるゆえに、どうもおかしな行動を取りがちになります。
何かの選択を迫られたときでも「自分が好きかどうか」ではなく「人からよく見られるかどうか」を基準に考えているのです。
例えを挙げれば、切りがありません。
資格を取るときに、自分がしたい仕事であるかどうかより、お金が稼げるかどうかを基準に考えてしまう。
高校を決めるときにも、自分が行きたいから選ぶのではなく、みんなが行くから自分も行くと考えてしまう。
かっこいい車を、人からかっこよく見られたいし、羨ましく思われたいから、高い金額でも買ってしまう。
特に、はやりを追うという行為は、まさに典型です。
自分が好むファッションだから服を買うのではなく、雑誌に「今、はやっています!」と書かれているから、流されて買ってしまう。
自分がはやりの服を買っていないと、ほかの人からださいと思われてしまう。
自分はイケてる人だと思われたい、はやりに乗って今を生きている人だと思われたい。
そんな「見栄」や「虚栄心」があり「本来の正しい選択」ができなくなってしまうのです。
人間は、人目を気にしていると、おかしな選択をしてしまうものなのです。
当然のことながら、こんな人目を気にした「選択」は、正しい選択だとは言えません。
「流された選択」「振り回された選択」ということです。
日本人は集団で行動する習慣があります。
みんながやるから自分もやる。
同じことをすることが正しいことだと思い込んでいる分、一見正しいと思われる選択が実は間違いだったことがよくあります。
あなたが選択する際に考えることは、次の基準です。
「自分が好きかどうか」
「自分にとってやりたいかどうか」
「自分にとって楽しいかどうか」
これらの基準は常に他人ではなく、自分です。
これらを大切にしていけば、他人に振り回されることなく、本来の自分の人生を歩むことができるようになります。
ポイントは、自分の気持ちに正直になることなのです。