勉強とは本来、やらされることではなく、自分からしていくものです。
学校では「勉強をしなさい」と耳にタコができるほど言われます。
「しなさい」と何度も言われることが影響して「勉強とは、やらされるもの」と思ってしまうのです。
私も小学生のころは、先生と親から「勉強をしなさい」と言われていましたから、勉強とはさせられる嫌なことだと思っていました。
勉強の話になると、表情が悪くなっていたものです。
しかし、高校2年から大学への受験勉強をきっかけに、初めて自分から進んで勉強するようになりました。
すると、とても勉強が面白いのです。
楽しいのです。
「勉強はこれほど面白かったのか」と思い、勉強に熱中していました。
当時は、英語と数学に熱中し、特に力を入れて勉強をしていました。
いえ、勉強で遊んでいたといっても過言ではありません。
普通に遊んでいるのと変わらないほど、わくわくするようになり、勉強ばかり1日中していたものです。
嫌だからではありません。
楽しいから、1日中勉強ができたのです。
比例して、成績も上がっていきました。
そんなとき思いました。
「勉強とは、やらされることではなく、自分から進んでしていくもの」
成績のいい人に限って、楽しく勉強しているのは「やらされている環境」にいないからです。
親からも勉強を強要させられるわけではありません。
自発的なエネルギーです。
モチベーションが強く、勉強も長続きするのです。
成績のいい人に限って「平気な顔」をしているものです。
自分から進んで勉強しているから楽しくて、平気な顔ができます。
むしろ成績の悪い人に限って勉強を難しく考えているものです。
やらされていると感じているから「勉強」という2文字を見るだけで、吐き気がします。
だからです。
勉強をやらされる環境や、やらされていると感じているなかでは、いつまで経っても本当の勉強はできません。
本当に勉強をしようと思ったら、自分から進んでいくしかないのです。
自分の興味を原点に「なぜだろう」「なるほどね」と感動を求め、勉強していくことが一番楽しくて効果が高い方法なのです。
私は読書をするとき、楽しいとしか感じません。
たしかに小学生の私なら「やらされている」と感じ、苦痛で仕方なかったことでしょう。
しかし、自分が好きなことからでいいのです。
興味のある分野から進んで勉強していくと、ゲームと同じようにわくわくするのです。
読書は私にとって、遊びと変わらないのです。