私はHAPPY LIFESTYLEで文章を書いているうちに、簡単なことほどレベルが高く難しいことに気づくようになりました。
簡単なことほど難しいとは、ちょっとおかしな表現です。
しかし、難しくすることのほうが実は簡単なのです。
ごまかせるからです。
ピアノの演奏でも難しい曲を演奏するときは、たくさんキーを叩きますから1つくらい間違えてもごまかせます。
聴いている聴衆も、1つや2つ、間違ってもわかりません。
第一、難しい曲は、初めて聞くような曲ばかりですから、正しいのか間違っているのかさえわからないはずです。
しかし、簡単な曲はごまかしが利きません。
簡単な曲ほど、一般に知れわたっており、キーを叩く指に集中が必要です。
1つでも間違えると、目立ちます。
ごまかせないのです。
またみんなで歌う「合唱」も、大勢の中の1人が歌を間違えてもわかりません。
しかし、1人で歌うソロは、一声間違えただけでとても目立ちます。
1人で歌うほうが簡単と思われますが、実は1人で歌うほうが格段に難しいのです。
ミュージシャンでも、レベルの高いミュージシャンほど、ソロで演奏して歌います。
初めはユニットを組んでいたバンドも、レベルが高くなり、ソロへと変更するという話はよく耳にすることです。
文章も同じようなことがいえます。
漢字が多く使われ、難しい表現や言い回しがたくさん出てくるような文章は、難しそうに見えます。
しかし、実際は、難しいのではなく「難しそうに見せているだけ」であって、実は書き手の表現力が乏しいだけです。
難しい文章は、複雑な言葉を使っていれば難しそうに見せることができ、意味が通じなくても読み手の責任にさせることができます。
しかし、本当にレベルの高い人は、必ず読み手のことを考えます。
そもそも本は、読まれるものですから、読み手のことを1番に考えてこそレベルの高い文章ということです。
読まれる文章ほど、簡単でわかりやすい表現を使い、漢字の量も少なく抑えています。
小学6年生でもわかる文章が、本当にレベルの高い文章なのです。
わかりやすい表現を組み合わせ、わかりやすい漢字を使い、誰でも読める文章に仕上げることは、それこそ匠の技です。
私はその昔、レベルは高くなることは、難しいことができるようになることだと思っていました。
複雑で難しいことができるような人は、レベルが高い人だと思っていました。
小説の中にたくさん難しい漢字が出てくると「この文章はレベルが高い。大人の文章だ」と思っていたものです。
難しいことが、大人である証しだと思っていたのです。
しかし、自分が書き手になったとき、レベルが高くなればなるほど、わかりやすい文章を書かなければならないことに気づきます。
実際に、昔の私の文章より、今の文章のほうが、漢字の量が少なく、わかりやすい言葉や表現をたくさん使っています。
自分のレベルが高くなればなるほど、簡単なことの難しさがわかるようになりました。
本屋で見かける「わかりやすい」「漢字の量が少ない」文章を見かけると、思わずレベルの高さに驚きます。
いかにわかりやすく、いかに簡単に表現できるかに、著者のレベルの高さが映し出されます。
「素晴らしい」と思い、感動してしまうのです。