性格を直そうとしても、そう簡単には変えられるものではありません。
誰しも一度は、自分の性格を変えようと考えたことがあるはずです。
「もっと明るい自分になりたい」「もっと精神的に強くなりたい」と自分の性格を改善しようとします。
しかし、自分の心の問題が大きく関係しているため、今日決意して今すぐ変われるというものではありません。
性格は今までの生まれや育ちが大きく関係しているため、変えることもなかなかすぐにはいかないのです。
心をきれいに変えることも、まったく同じことが言えます。
というのも、性格を変えることと、心をきれいにすることは、自分の内側を変えるというまったく同じ行為なのです。
表現は違っていますが「自分の内面を変えること」だという点では同じことにあたります。
基本的に時間がかかるものだと思ってください。
外側だけを変えるなら、時間とお金さえあれば、すぐできます。
きれいな洋服を身にまとい、美容院でパーマをかければ、外見はすぐぴかぴかに輝きます。
しかし、内側の心は、時間とお金ですぐというわけにはいきません。
自分の性格というのは、いわば「今までの過去の蓄積」です。
今までの行いでどれだけ人の温かみに触れているかという経験の蓄積が、その人の性格であり、心のきれいさにしっかり表れます。
心がきれいな人は、人のために一生懸命になってきた人であり、人との関わり合いという温かさを人一倍よく知っているのです。
性格がいいのです。
人のために「態度、行動、発言」に気を使い、人の温かみがあるために、温かい性格になることができているのです。
私の実家がある愛媛には、田舎というせいもありお年寄りがたくさんいます。
もちろんなかには若い人もいるのですが、若い人は仕事で都会に出ていき、少なくなります。
都会より田舎のほうが肌に合うというお年寄りは田舎のほうを好み、生活をします。
私が休暇で田舎に久しぶりに帰ると、お年寄りの優しくてきれいな心にあらためて驚きます。
自分の畑で取れた作物を分けてくれたり、道ですれ違うときには必ず挨拶をしてくれたりします。
困ったときには助けてくれたり、親切にしてくれたりします。
長く生き、人と人との温かみのある触れ合いの中で生活しているため、みんなとても性格がよくて、心がきれいな人ばかりなのです。
きれいな「態度、行動、発言」にあふれていて、お年寄りと一緒にいると私までほっとした気分になるのです。