心のきれいさは、身の回りにも表れます。
身の回りがきれいに整理整頓され、丁寧に手入れがされているのは、心がきれいな証拠です。
いつも物に対して感謝の気持ちがあるため、定期的に手入れをして整理整頓しているのです。
物に対しても人と同じように愛する気持ちがあり、優しく丁寧に扱っているわけです。
ただ勘違いをしないでほしいのは、きれいに整理整頓がされているということであり、きれいな物が置かれているとは限りません。
きれいなものは、初めからきれいです。
物そのもののきれいさのことを言っているのではなく、その人が物をどれだけ丁寧に扱っているかということです。
身の回りのきれいさ、整理整頓ということです。
たとえば、心がきれいな人は、布団がきれいにたたまれています。
布団そのものがきれいで高級なものなのかという話ではなく、きれいに扱われているかどうかにポイントを置いてみましょう。
いつも寝る布団は、毎日お世話になっています。
生きているわけではありませんが、布団があるおかげで毎日快適に寝ることができているのです。
布団に対しても、もちろん「ありがとう」という感謝の気持ちをもたなければなりません。
それが結果として「きれいにたたむ」という行為として表れていくのです。
きれいにたたまないと、申し訳なく思います。
そんな優しくてきれいな心は、布団1つにもはっきり表れてしまうのです。
布団だけではありません。
財布、携帯、机、車、自転車、毎日着る洋服。
そうした身の回りの物すべてに当てはまります。
面白いことに、布団をきれいにたたんでいる人は、決まって机の上も財布もきれいで、洋服もきれいにたたんでいます。
1つだけが極端にきれいなことはなく、きれいにする人は身の回りの物すべてがきれいにされています。
その一方、布団をたたむことがない人は、決まって机の上も物が散らかって、本棚も整理整頓されず、財布も汚い。
もちろん自分の着ている服もきれいにたたまず、適当にたたんでしまいます。
このように身の回りの状態は「全部がきれい」と「全部が汚い」といった両極端にわかれてしまうのです。
これも答えを明かせば、本人の心のきれいさがキーポイントになっています。
心がきれいな人は、人だけでなく物に対しても感謝の気持ちがあるので身の回りにあるものはすべてきれいにします。
しかし、心が汚い人は人にも感謝をせず、物に対しても適当に扱うため、すべてが整理整頓されず、散らかってしまうのです。
あなたの心のきれいさは、身の回りの物に表れます。
財布を見てみましょう。
きちんと手入れがされていますか。
いつも寝る布団を見てみましょう。
きれいにたたまれていますか。
自分の着る服や机の上など身の回りを見て、どれだけきれいに整理整頓されているかが、あなたの心のきれいさでもあるのです。
物に対する優しい感謝の気持ちがどれだけ表れているかが、目に見えてしまうのです。