私は学生時代、友人と一緒に同居していた時期がありました。
恥ずかしい話ですが、その友人とは、最後には喧嘩別れをしてしまいました。
私が、トイレ掃除や食べ終えた食器をきちんと洗わなかったことが原因でした。
自分としては、食器をきれいに洗いました。
もちろんトイレもきれいに掃除しました。
しかし、一緒に同居している友人からすれば、全然できていない状態だったそうです。
昔から食器の洗い方やトイレ掃除をいつも母任せにしていたので、自分がしている掃除が甘かったようです。
私はそのとき「自分は悪くない」と思っていました。
揉めた結果、私が部屋を出ていき、それからは一人暮らしをしています。
しばらく時が経ちました。
今になってその一件を思い出すと「たしかに自分の掃除の仕方に問題があった」と思えるようになりました。
あのときの私がした掃除は、たしかに全然できていないなと、今になって気づきます。
「友人が怒るのも無理はない」と恥ずかしくなりました。
それに気づいてからは、掃除はきちんとするようになりました。
過ちを償うような気持ちです。
いらいらしたりむかついたりした経験の意味は、そのときはわかりません。
そのときは腹が立っているため、落ち着いて考える余裕がありません。
後になって気づきます。
時間が経てば、落ち着いて振り返ることができるようになります。
たとえば、学生時代、先生からひどく叱られて腹が立った経験を思い出してみましょう。
本当に相手だけが悪かったのかと振り返ると、必ずしもそうとは言い切れない部分が出てくるのではないでしょうか。
思い出したくもない、むかついた経験は、反省材料になります。
自分の「恥ずかしさ」に気づいて、自分の行いを改善するのです。