人間なら、誰しも「いいところ」と「悪いところ」の2つがあります。
いいところだけの人はいません。
悪いところだけの人もいません。
どんな人にも、いいところと悪いところの両方が、あるものです。
人によって、いいところより悪いところを先に探す習慣の人がいます。
俗にいう、粗探しをする人です。
人を見るときに、いいところより悪いところを探して、指摘する人です。
そんな人は決して心がきれいな人とは言えません。
人が嫌がるような悪いところばかりを探し出して指摘する人は、前提として人に対して悪い考えを持っているのです。
自分の評価を高めたいからと、周りの人の評価を下げることが習慣になっていて、人に対しても、物に対しても当たります。
「あの人、かっこいいね」と言っても「女遊びしていて、性格悪いらしいよ」とけなします。
「あの人、頭よくてすごいね」と言っても「頭がいいだけで、社交的じゃないでしょ」と見下します。
認めると自分の評価が下がり負けてしまうと思っているがゆえに、素直に喜べず、逆に欠点を探そうとするのです。
どうしても他人の幸せが素直に喜べないのは、自分がそれだけ不幸だからです。
幸せな人は、他人の幸せも、素直に喜べます。
自分がすでに幸せですから、他人の幸せも一緒になって喜べるのです。
問題なのは、不幸な人です。
不幸というコンプレックスを背負っているため、他人の幸せを素直に喜ぶと、自分が負けるというつまらない意地を張っています。
性格が悪くなると、さらに人から嫌われ、性格が悪くなってしまう悪循環になります。
いっそのこと、自分の負けを認めてしまえばいいのです。
認めることができない頑固な心を持っている人は、まだ心が堅い人です。
「勝てばよい、負ければ悪い」というわけではないのに、人間が勝手にそういうものだと思っているだけです。
負けてもいいと考えることができるようになれば、素直に「すごいね」と喜べるようになります。
「自分より幸せな人がいてもいい」「自分のほうが劣ってもいい」と認めてしまえば、不思議と心が柔らかくきれいになります。
自分ではとてもかなわないことには素直に負けと認め、喜ぶようにすればいいのです。