テレビのドキュメンタリー番組で、興味深い内容がありました。
治療困難ながんのため、余命わずかの女性が、自らの名前と顔を公開して、苦しみながらも懸命に生きる生活を公開した内容でした。
珍しいがんにかかり、専門医も少なく、治療も確立されていないとのことです。
そのため、治療の研究も思うように進んでおらず、現時点では治療が大変困難ながんとのことです。
「5年後の生存率、7パーセント」という低い数字です。
自分の命が尽きる前に、できることをしておきたいと思ったのでしょう。
その人は、自分の顔・名前・生活のすべてを公開していました。
がんであることがどれだけ不安であるか。
がんを家族に告白する大変さ。
また国内でがんにかかっている人に、病魔と闘いながらも懸命に生きる自分の姿を見てもらい、少しでも励みにしてもらいたい。
仕事も、病気だからこそ、ほかの人より一生懸命になっている様子でした。
残りの命がわずかだからこそ、職場の仲間たちと濃い時間を送っている様子でした。
私は、衝撃を受けました。
個人の情報が大切だと言われている時代です。
2005年4月からは「個人情報保護法」という法律も施行され、個人の情報の扱いにはシビアになっている昨今です。
誰もが公開したがらない個人情報を公開することで病気で苦しむ人の実態が明らかになります。
目にした人の人生を変えるような、強い衝撃を与えることができるのです。
がんで残りの命がわずかであることをはっきり自覚できたからこそ、彼女は残りの人生を懸命に生きていました。
テレビという全国メディアを通して、自分の顔・名前・生活をすべて公開するという大胆な行動に出ていました。
普通の人の何倍も濃い人生を送っていました。
余命が短いからこそ命の貴重さを自覚し、一生懸命に1日1日を濃く生きていました。
それは、私たちにも当てはまることです。
人生80年と考え、あなたがもし20歳なら、余命60年です。
その余命を自覚したとき、私たちは、必ず一生懸命に生きようとします。
いえ、一生懸命に生きたくなります。
生きているだけでも、嬉しい、素晴らしいということに気づきます。
生きているからこそできる、自分を生かした最大限の仕事をしたくなります。
病であれ健康であろうと、私たちは、遅かれ早かれ、最後はこの世を去ることになります。
余命を自覚したとき、人は残りの人生を一生懸命に生きようとします。
何のために生きているのか。
生きているうちにできることは何か。
自分にできることは何か。
命の炎を、この世のために、有効に活用したいと心から思うようになります。
個人の名前・電話番号・顔写真のような個人情報さえも、大胆に公開することができるのです。
自分が執着していたことは、大したことがないとわかり、大切にしていたものをぱっと手放せます。
公開することで悪用される恐れがあります。
しかし、懸命に生きる姿がそこにあれば、個人情報を公開することで、ほかの人の人生に衝撃を与え、人生を変える力にもなります。
余命を使って、どれだけ一生懸命に生きるかという気持ちの問題です。
余命を自覚し、自分を生かしきって全うする人は、自分の顔や名前を公開して、ほかの人のために仕事をするようになります。
死んでしまえば、それらの執着は幻であるということに気づき、一番大切なことに対して一生懸命になります。
大切な家族との時間。
仕事ができるという幸せ。
恵まれた人間関係。
どれも輝いて見えるようになり、ぱっと変わります。
ドキュメンタリーで見た女性は、がんのため余命わずか5年という短いものでした。
しかし、私もあなたも、いずれ最後は死ぬことに変わりありません。
どんなに健康でも、やはり人ですから、最後は死を迎えます。
余命が長くても、その命の貴重さをしっかり自覚できたとき、人は思い切って生きることができるのです。