テレビ、本、友人との雑談、駅の広告……。
昔とは違い、現代では、マルチメディアが発達しました。
部屋にいても、テレビから情報が次々流れます。
駅に立っていても、自然と広告が視界に入ります。
電車の中でさえ、ぶら下がっている広告が、目に飛び込んできます。
いえいえ、こんなものではありません。
昔とは違い、本も、誰もが手に入れることのできる時代となりました。
明治維新前は、本を読むのはお金持ちだけでした。
また、手に入ったとしても、本は限られたジャンルのみで、世界の事情を詳しく説明した本はありませんでした。
それもそのはずです。
飛行機がない時代は、ほかの国に行ったことのある人はいませんから、事情を知る人もいませんでした。
ゆえに本を書く人もいませんでした。
しかし、時は流れます。
封建社会がなくなり、誰にでも平等に学問の自由が与えられます。
飛行機が登場し、ラジオ、テレビ、インターネットが登場します。
驚くべきことに、たいていのマスメディアは無料のものが中心です。
特にラジオやテレビでは、貴重な情報が無料で手に入ります。
知識に飢えていた人は、これほど興奮することはありません。
時代は発展し、インターネットが登場すれば、いつでもどこでも情報は瞬時に手に入るようになります。
今では携帯電話で、世界中のあらゆる情報にアクセスできます。
驚くべき進化ですね。
今では、情報があふれるほどの時代となりました。
これだけ情報にあふれ、私たちは生活が豊かになったのかというと、人によります。
多くの情報に「溺れる人」と「活用する人」とにわかれていったのです。
溺れる人の特徴は、まず、情報に流されます。
「テレビで宣伝していたから」
「本で見かけた」
「雑誌で見かけた」
自分の中に入ってきた情報を整理せず、うのみにしてしまうのです。
今の自分にとって「何が一番大切なのか」という核心を見極めていないため、すべての情報に対して、広く浅く反応してしまいます。
情報をうのみにした人は、まず何をするのかというと「必要のない物を買ってしまう」という愚行に走ります。
「見たことある、聞いたことある」という、ささいな理由だけで購入し、部屋の中にはたくさんのものであふれかえります。
「テレビで宣伝していたものだから、素晴らしいに違いない!」
そう思うのは、すでに情報に流されている証拠です。
「本当に大切なものは何か」という本質を見抜くことができていないのです。
こうした人たちも同じです。
すべては情報を処理しきれず、流されているからこうした結果になっています。
右から左へ流れていく情報に、踊らされてしまうと、部屋の中はごみでいっぱいになります。
自分の時間が持てなくなり、どうでもいい飲み会への出席や、無駄な人付き合いが増えます。
情報に溺れて「何が自分にとって本当に大切なことなのか」がわからなくなります。
さて、本題に入ります。
今回は、本質を見抜くための方法にテーマを絞った話をします。
情報に溺れないようにするための、生きる知恵です。
溺れてしまうと死んでしまうのは、海だけの話ではありません。
情報という大きな海も、同じです。
多くの情報に溺れても、その人は死んでしまいます。
命はあっても、お金が貯まらず、自分の時間がなくなっては、死んだも同然です。
溺れたくなければ、泳ぎ方を覚えることです。
それが、現代社会では必要な生き抜くための技術です。
たくさんの情報の中から、大切なことを見極めるというのは、情報の海を泳ぐテクニックなのです。