尊敬できる人からたくさんの学びを得るのは、大切なことです。
尊敬できる人は手本になり、多くの学びを得ることができます。
たしかに尊敬できる人を見つけるのは、大切ですが、さらに大事なことがあります。
まず自分が素晴らしいと気づくことです。
誰より先に、自分の素晴らしさを理解することのほうが、はるかに大切です。
まず自分を素晴らしいと認め、それから他人を尊敬するという順番でかまいません。
私は、すべての人間は「素晴らしい」と思います。
もちろんあなたも素晴らしい人です。
たとえば、胸に手を当ててみましょう。
心臓が勝手に動いていますが「素晴らしい」と思いませんか。
勝手に動いているとはいえ、そのおかげで今、生きることができています。
誰が動かしているのでしょうか。
細胞分裂をしようと思わなくても、勝手に細胞分裂していること。
勝手に髪が伸びること。
勝手に爪が伸びること。
皮膚の新陳代謝。
口から食べたものは、胃で消化され、腸で栄養を吸収すること。
それらすべて「自分の意思」でそうしているわけではありませんね。
勝手に起こっていることです。
勝手に起こっていることとはいえ、どれか1つが欠けても、生活に困ります。
勝手に動く心臓が止まってしまえば、生きていけません。
すべてあなたが生きるために必要なことです。
誰が動かしてくれているのだろうと不思議に思いませんか。
眠っている最中に、頭と体は休んでいても、呼吸は忘れないという不思議さ。
なにより、この世に誕生できている素晴らしさです。
生きているからこそ、泣いたり笑ったりできます。
本来「自分は生かされている」「自分は素晴らしいのだ」と気づき、認めることが大切です。
「誰かが勝手に動かしてくれている」「誰かがしてくれた現実」によって、私たちは素晴らしく生きることができています。
そういう「生かされている」という事実に、まず気づくことが先決です。
日本人は謙虚になることが美徳とされているためか、自分で自分を見下す人がいます。
「私はばかですから」
「私なんて大したことありませんから」
それは謙虚でなく、横柄です。
自分に起こっている不思議で神秘的な出来事に感謝を忘れ、大したことがないと言っているのです。
こうしたことは、忙しい現代人は、まず考えることはありません。
忙しすぎて、考える余裕がありません。
心臓が動くこと、髪が伸びること、胃で消化、腸で吸収することは、当たり前のことだと思っています。
当たり前すぎて、感動や感謝を忘れています。
本来、すべての人が、素晴らしいのです。
まず自分の素晴らしさを認めましょう。