その昔、私は完璧主義の人間でした。
完全を求める癖があり「完全」「完璧」「100パーセント」を求める傾向がありました。
「テキトウにやってしまおう」という口癖とは無縁でした。
しかし、長く生きていると、完璧を求めていると寿命が縮んでしまうことに気づきます。
勉強、仕事、恋愛も、完璧を求めていると、いつも頭の中で考えていることになり、精神的によくありません。
心が不安定になり、鬱のような状態になります。
最近の私は「まあ、いいか」「何とかなるか」「テキトウでいいよ」と、よく口にするようになりました。
年を取って、性格が丸くなりました。
なぜテキトウに考えるのかというと、一番「適当」だからです。
いらいらしたとき、むっとしたときには「頑張って100パーセントを目指すぞ」と思うより「まあ、いいか」と相手を許すのです。
相手を許した瞬間から、心の重い荷物から解放されることになり、精神的に軽くなれます。
テキトウというと、どうもマイナスのイメージを持っている人が多いようです。
しかし、漢字で書くと「適当」となります。
「テキトウ」に考えることが、最も「適当」であるということです。
「テキトウにやりましょう」ということは「適当にやりましょう」ということです。
マラソンでは、無理なハイペースで走っていると、すぐ息切れしてしまいます。
すぐバテてしまい、初めはよくても、後で悪くなります。
マラソンでは、適当にマイペースで走ることが、最も長続きする走り方です。
最も好成績につながる姿勢になります。
テキトウに生きていくことが、一番適当なのです。