生きている間に、私たち人間は、大きな目的を与えられず生きてきました。
とはいえ、目的を与えられていないだけで、実は共通の目指すべき方向はあります。
それが「個と全体の一体化」です。
私たちは、宇宙の中にいるのですから、少なくとも宇宙の流れに従っていかなければならない。
その宇宙の流れというのは「個と全体の一体化」です。
個人が、全体と一体になるということです。
「調和」ということもできますし「愛」ということもできます。
調和は、周りと自分が1つになることです。
愛も、自分と周りとが1つになるということです。
よく恋愛における「愛」と思われそうですが、限定された愛です。
相手と自分との一体化しか考えていない、限定付きの愛だからです。
本当の愛は、自分も相手も周りも一体化する、大きな愛をいいます。
世の中にある宗教は、文化、聖典、言葉、生まれの違いこそはあれ、どれも同じことを言っています。
それが「個と全体の一体化」です。
私たちは、その個と全体が一体になるような習慣を、知らず知らずの間にしています。
挨拶。
助け合い。
協力。
愛し合うこと。
才能を生かして生きる。
こうしたことは、あなたもよく耳にする言葉でしょう。
しかし、どれも、個と全体が1つになるための素晴らしい習慣です。
さあ、手のひらを見てみましょう。
手のひらには、親指、人差し指、中指、薬指、小指がありますよね。
確認しましたか。
それぞれの指だけでは、うまく機能しませんよね。
もちろん動きはしても、手本来の働きをするためには、すべての指の力が必要です。
もう一度、手のひらを見てみましょう。
5本の指は、真ん中にある手のひらで1つにつながっています。
「手」が出来上がり、さまざまな仕事をすることができているのです。
握手をしたり、字を書いたり、ボールを投げたりなど、一体になることで本来の機能を果たし、十分に力を発揮しています。
親指だけで字を書くことはできません。
小指だけで握手もできなければ、薬指だけでボールを投げることもできません。
5本の指が1つにつながり、一体になり、初めてその本来の力が発揮されます。
個と全体の一体化とは、手のような感じです。
一つ一つだけが独立するのではなく、1つになるのです。
1つになることで、ほかの存在も喜ぶわけです。
この考え方を、友人関係、家族関係、社会に当てはめ、宇宙に当てはめてみましょう。
それぞれが独立してはいません。
いえ、独立など、そもそもないのです。
初めから、1つなのです。
「1つにならないといけない」ではなく、すでに「1つ」になっています。
ただ、その連携がうまく取れていないために、差分が生じています。
手のひらのように1つにつながっていても、うまく連携が取れないと、本来の力を発揮できないのです。
挨拶をする、握手する、協力する、相談する、助け合うことは、連携を取り合うことです。
自分の存在が、周りに溶け込み、1つとして一緒に協力しながら生きていくということです。
初めて本来の力が発揮されるのです。