人は生まれたばかりのころは歩くことさえままなりません。
親からの保護を受け、助けてもらいながら大きく成長します。
子どもが大人になるためには、大人である親の力はとても大きいのです。
ですがなかには、保護をしすぎている親もいます。
子どもに簡単にお金をあげてしまう親です。
お小遣いはよい代表で、簡単にお金を子どもに「渡して」しまいます。
それが長期間にわたって、ずっと「渡され続けて」しまうため、子どもには、お金は「もらう物」だと勘違いしてしまうのです。
私の家庭も比較的過保護であり、毎月お小遣いをもらっていました。
冒頭でもあげたとおりの出来事と同じく、小学生から大学のころまでずっと親から「お小遣い」をもらい、生活をしていました。
しかし、そんな生活をしてしまっていたため、社会人になるまでは「お金はもらう物」だと間違って認識してしまっていました。
しかし、一度社会に出てみればわかりますが、正しくは「お金は働いて稼ぐもの」です。
社会のためや人のために働き、その報酬としてお金を受け取ります。
もちろん働きが大きければ大きいほど、より多くお金を受け取れます。
社会では決してお金はただではもらえません。
私は小さいころから親からお小遣いをもらっていたため、金銭感覚がおかしくなっていた部分がありました。
そのため社会に出てからお金に関してはいろいろ苦労をして、今ではこのようにお金にまつわる話は山のようにできるほどです。
何しろずっと「もらう物」だと思っていましたから、この金銭感覚を変えるためには苦しい経験を何度もすることとなったのです。
中国の華僑やユダヤ人は、子どもに早くから働かせ、子どもの自立心を芽生えさせる教育を行っています。
決してお金をあげるのではなく、小さな仕事をやらせて、お金を渡すという教育ができているのです。
お金に対して正しい認識を小さなころから身につけさせるために、親の教育が厳しいのです。
お金を子どもにあげることは、子どもをダメにさせてしまうことになります。
私はお金を甘く見ていただけに痛い経験をたくさんすることになり、そのおかげでお金について考える機会を得ることになりました。
おかしな話で、これが私にとってお金について考えるよい機会になりました。
お金をあげる経験は子どもには毒なのですが、悪い経験もいい経験に変えるようにしています。