たしかに物が少ない時代なら、物をたくさん持つことに豊かさを感じました。
特に戦時中や戦後などは、その日に食べるものを手に入れることに必死になっていた時代です。
物が何もない時代には、どうすれば豊かになれるのかということが課題でした。
そのため戦後の「物質的な欲」が原動力となり、日本は物質的に急成長を遂げました。
それが1960年代の「高度経済成長」です。
人々は物をたくさん持つことそのものが、幸せと正比例すると思っていたわけです。
今はたくさん物を持つ豊かさより少なく持つことに豊かさを感じる時代です。
すでに物は何でも手に入れられる時代になりました。
24時間のコンビニができ、時間を問わず食料を手に入れられます。
食べるものだけでなく着るものも住むところも家庭用品なども、お金さえあれば何でも手に入る時代になってしまいました。
これだけ物があふれていれば、日本は幸せになっていることでしょう。
しかし、実際は失業者が増え、自殺する人、引きこもり、いじめなど、以前には考えられなかった状況に陥っています。
物を手に入れてしまえば、それらは人と人とを冷たくさせてしまう道具になってしまったのです。
携帯電話の出現のために、人と人とが実際に会うことが減ってしまいました。
テレビゲームのために、子どもたちが外で遊ぶことが少なくなりました。
たくさんのマンションが立ち並ぶようになり、子どもたちが遊べる空き地や公園がどんどん減ってしまっています。
このまま私たちが物を追いかけすぎていると、最後には人が何をしなくてもすべて機械たちがやってしまう時代になります。
人間型のロボットが出現し、人との触れ合いなど必要のない時代がいつかは来るかもしれません。
人が一番幸せを感じるのは、人と触れ合っているときです。
テレビと向き合っているときでもなく、部屋に閉じこもっていることでもなく、人型ロボットたちと遊ぶことでもありません。
人と人との間にいるときが、人間でいられるときです。
人間という字は「人」の「間」と書きます。
人間が人間でいられるのは人と人との間にいるときであり、機械や物に挟まれている状態ではないのです。
あなたの周りにはいませんか、物たちに挟まれている人。
常に携帯がないと行動できない、物をたくさん持つことで豊かさを感じてしまう人。
正直に言うと、私も以前はそうでした。
いつも携帯を持っていて、たくさん持つことで幸せになれるものだと思い込んでいました。
部屋にはたくさんの物があふれ、部屋が倉庫のような状態でした。
しかし、いくらたくさんの物を手に入れても、全然幸せになれませんでした。
むしろ友人と直接会ったり話したりする機会が減ってしまい、人間らしくない生活になってしまっていました。
人が人の間に挟まれなくなったとき、もはや人間ではなくなってしまうのです。
あるときから「これはおかしいな」ということに気づき始めました。
たくさん物を持って、たしかに一時的には幸せだなと感じてしまうのですが、すぐ冷めてしまいます。
しかし、それより本当に仲のいい友人と一緒に食事に行ったり、海に遊びに行ったりするほうがよほど楽しかったりします。
また自分を理解してくれる存在も、物ではできず、やはり人ならではのことです。
あるときから、持っていた物たちを思いきり切り捨てるようになりました。
倉庫のような部屋を、突然スッカラカンに近い状態にしていきました。
すると、今まで私を縛り付けていた物がなくなったため、精神的に軽くなり、執着心が減りました。
物そのものを持っていないため、執着心すら出てくることもなく、トラブルや喧嘩もありません。
物を持たないほうが、豊かに感じてしまうのです。
物による見えない鎖から開放された自由感なのです。