人生には記念になるような行事がいくつかあります。
始業式、卒業式、成人式、入社式、結婚式、子どもが生まれたときといった、大きな節目です。
こうした行事では記念品のような小物を何かとよくもらいますが、日常に役立つことはありません。
記念品としてであって、日常品ですらないので使うこともありません。
私は小学生のときに創立50周年でもらった「文鎮」を持っていますが、一度も使ったことがありません。
記念品としておいてはいても、わざわざ「文鎮なら、あの記念品を使おう」とは思わないのです。
たいていの場合、文鎮を使うときには忘れてしまっています。
日常で使いもしないのですが、これがなかなか捨てられないものなのです。
「記念だから取っておこう」
そう思うことで、部屋にはどんどん記念品が集まります。
これでは記念品の博物館になってしまうだけです。
実家の応接間には、旅行に行くたびにもって帰ってくるお土産の人形がたくさん置かれている部屋になってしまっています。
旅行に行くたびに部屋の中に人形や飾り物が増えます。
何の役にも立たず「記念」という言葉がついているだけにこれが捨てにくいのです。
私が「何のためにおいているの」と聞いても「記念だから」と言います。
旅行を楽しみに行っているより、記念品を集めに行くために旅行に行っているような印象さえ受けてしまいます。
旅行に行った証拠を残したい気持ちもわかりますが、実際は頭の中に十分残っています。
旅行に行ったときの記念品や行事でもらったときの記念品には「記念」という響きが捨てにくい心理状態を作り出しています。
記念品も思い切って捨ててしまいましょう。
記念は、心の中にしまっておけば失うことはありません。
頭の中なら部屋のスペースをとられることもありません。
心にしまって置けるものを、わざわざ部屋に置いておく必要はないのです。