人には、長所と短所の2つがあります。
日本には「長所を伸ばすこと」より「短所を穴埋めすること」に力を注ぐ教育がいまだに根強く残っています。
平均的が大好きな日本人は、一部分が突出していることに違和感を抱いてしまいます。
それよりできるだけすべてを同じように平均的にしたがる傾向があります。
「出る杭は打たれる」という環境があるのです。
私も小学生だったころ、当時担任だった先生にこういうことを言われたことがあります。
「先生、算数で95点取ったよ。見て見て」
すると先生はこう言いました。
「算数はもういい。それより国語の30点を何とかしなさい」
これを聞いた私は、喜んでいたのに、落胆してしまったわけです。
自分の得意だったところを見て褒めてもらいたかったのに「できるところ」より「できないところ」を強調されたのです。
長所をもっと伸ばせばいいものの、そんな時間があるなら短所を穴埋めすることに努力を注ぐような教育でした。
こうした教育は、私だけに限らず皆さんも同じように経験したことがあるのではないでしょうか。
長所を伸ばすのではなく、短所を穴埋めする教育です。
学校では一教科が100点で残りは30点という偏った状態は悪いことだとされています。
学校では、偏ることそのものによい印象を持ってもらえません。
「100点取ってしまうような教科はもう勉強しなくていいから、ほかを何とかしなさい」
良い点を取っても、悪い点を強調され、逆に叱られるのです。
これが日本には平均的な人が多く、一方で1つのことに突出した専門家が少ない理由です。
社会に出ると、何でもできる人は選ばれにくく、1つのことに突出した専門家のほうが必ず才能を発揮できる共通点があります。
テレビに出ているスポーツ有名選手は、常に1つのことに才能を発揮させたスペシャリストたちばかりです。
2つのことを同時に成し遂げようとすると、時間も努力も倍以上かかります。
結果として、スペシャリストにはなれないからです。
2つのことに手を出すと、結果も2分の1で終わってしまいます。
何でもうまくやろうとすると、すべてが中途半端で終わってしまうのです。
過去の偉人を振り返っても、才能を1つに絞って発揮させた人ばかりです。
「あれもこれも手をつける人は、才能を発揮できない」という法則があります。
エジソンが発明で偉業を成し遂げられたのも、発明に集中して才能を発揮したからです。
もし発明をしながら別のことにも力を注いで世界一を目指していたなら、大発明を成し遂げられなかったでしょう。
多くのことに着手していると、集中が分散され、結果が半減します。
アインシュタインが特殊相対性理論を発表し有名になれたことも、物理学というテーマ1本に絞り、勉強をしていたからです。
物理学をやりながら棒高跳びに精を出し、棒高跳びのスペシャリストを目指していたならば、相対性理論は完成しなかったでしょう。
時間に余裕がなくなるからです。
フランスの昆虫学者ファーブルも、昆虫の研究に専念したから『ファーブル昆虫記』を完成することができた。
もし虫の研究をしながら小説家も目指して努力していたなら、どちらも中途半端になります。
大きな才能を発揮できるポイントとは、自分が得意とするテーマ1つに絞って、それにすべてを投資することです。
有名人の共通点は、何か1つを極めている点です。
一点豪華主義者なのです。