大人たちは「居心地のいい人間関係では進歩しない。もっと苦労しろ」と言って、つらい人間関係の中にいることを薦めます。
たいていそういうことを言う大人に限って幸せそうではありません。
眉間にしわを寄せて、不機嫌な表情をしています。
若いころにつらい人間関係で苦労したからと、自分の部下にも同じような苦しみを味わわせたいだけです。
それは、単なる個人的な恨みです。
自分が苦しんで這い上がってきたからとはいえ、後に続く人間にも同じ苦しみを味わわせたいと悔しくてたまらないのです。
そんな人の言うことは聞かなくてかまいません。
言うことを聞いていると自分まで同じようなつらい人生を歩むことになり、その人と同じような性格になります。
そんな人の言うとおりにつらい人間関係の中に本当に浸っていると、幸せのかけらも感じられないのです。
不幸そうな人(あるいは本当に不幸になっている人)の言うことを聞いてはいけません。
往々にして不幸そうな人の言うことは、不幸になるための助言になっています。
ただ唯一、言っていることを参考にするとすれば、言っているとおりにしないことです。
言っているとおりのことを本人がしてきたから、そんなにつらいばかりの人生を歩んできてしまったのです。
少なくとも言っているとおりにしなければ、不幸ではない道には歩めます。
不幸になっている人は幸せになれなかった人ですから、幸せになる方法など知っているわけがないのです。
方法をどうすればいいのかわからないため、どうすればいいのかわかるわけがありません。
にもかかわらず「我慢をしろ」「最初からやれ」「這い上がれ」「もっと苦しめ」など、効率の悪い根性論を押し付けます。
幸せになるための基本は、実際に幸せになっている人から話を聞くことです。
不幸な人が言っている幸せ論を信じて本当にそのとおりにしてしまうと、自分も同じく不幸へと道連れにされてしまうのです。
私は情報を仕入れるとき、本屋にある本から情報を収集することにしています。
できるかぎり笑顔になっている著者、元気のある作者を選んで本を買うようにしています。
本を書いている人は一生懸命に勉強した人であって、その結果お金持ちになったり、幸せになれたりした人です。
そういう人たちの書いた本を読んでいると、参考になります。
その一方で、飲み屋で酔ったおじさんが怒鳴り散らしているお説教は聞かないことにしています。
勉強しなかったからお酒に頼ることになり、ストレスを愚痴でぶつける人の言うことは参考にならないのです。