私の実家の近くに「谷上山」という山があります。
それほど大きな山ではありません。
標高455メートルの小さな山ですが、頂上には展望台もあり、地元ではそれなりに有名なところです。
私は、学生時代から犬を飼っています。
犬の散歩がてら、家の周辺の歩ける場所は、ほとんど歩き尽くしています。
そのうち同じ道では飽きてきた私は、この谷上山にも登るようになりました。
いえ、最初はそういうつもりではありませんでした。
歩いたことのない道を探していると、たまたまその道が谷上山への登山道でした。
「散歩のつもりが、いつの間にか登山になっていた」という、嘘のような本当の話です。
散歩とはいえ、山の頂上に向けて坂道がずっと続きますから、体力的にかなりきつい。
汗を流しながら急な坂を登り、ようやく一息つける場所まで登ったと思えば、まだ次の坂が現れます。
「ああ。散歩とはいえ、少しやりすぎたかな」
山道の厳しさに弱音を吐きそうになりました。
しかし、です。
大変ではありますが、なぜか途中で足が止まらなくなります。
「もう少し歩こう」と思ってしまい、しばらく歩くと「もう少し歩こう」と思って、また登ってしまう。
それはなぜか。
登れば登るほど標高が高くなるため、より美しい景色が見られるからです。
いくら小さな山とはいえ、標高455メートルから見られる景色は絶景です。
天気のいい日は、向こう300キロくらい先は見えるでしょうか。
自分の住んでいる家が、米粒のように小さく見えます。
住んでいる町全体が、一望できます。
途方もなくいい眺めで、疲れが一瞬で吹き飛びます。
上に上がれば上がるほど、景色がよくなります。
だからこそ「もう少し歩こう」と思ってしまいます。
これは経験してみないとわかりません。
疲れているのに、足が止まらなくなるという、不思議な経験です。
私はそのとき、山登りをする人の気持ちがわかったような気がしました。
山登りは、すぐご褒美が得られます。
「美しい眺望」というご褒美です。
登るほど、リアルタイムでご褒美が得られ、次第に大きくなります。
おかげで「もう少し歩こう」という気にさせてくれます。
気づけば頂上に登っていた自分がいたのです。