「子どものために、やれることはすべてしてあげたい」
子どもの幸せを願う親なら、こうした願いを共通して持つに違いありません。
親が子どものころ悩んだり苦しんだりした経験があった分、わが子に同じ苦しみを味わわせたくないと思うのは、自然です。
しかし、その気持ちが強すぎて、子どものために気を利かせた世話をしすぎる親がいます。
「子どもの部屋を親が片付ける」
「子どものパジャマを着させてあげる」
「子どもが一生働かずに暮らしていけるだけの財産を残す」
一見すれば、気の利いた行動をしているように思えます。
しかし、気が利いているように思えて、実は最も気が利いていません。
子どもがすべき宿題を、親が代わりにやっているからです。
子どもが考えたり苦しんだり悩んだりする経験を、親が奪ってしまっている。
親が代わりにすれば、たしかに子どもは楽になりますが、子どもは生きる力が養われません。
生きる力を養うためには、悩み苦しみながら試行錯誤する経験が必要です。
部屋が散らかると、どうなるのか。
一度子どもに経験させ、片付けの大切さに気づかせます。
整理整頓の手順を学ばせて、管理能力を鍛える機会にします。
子どものパジャマを着させてあげるのも、子どもの成長には必要です。
一生懸命ボタンを留めているうちに、手先が器用になります。
子どものために、一生暮らしていけるだけの財産を残すのも、実は子どもをダメにしている。
子どもは金銭感覚が養われなかったり「社会に出て働く」という意味を見失ったりすることでしょう。
金銭感覚や働く意欲がなければ、親の死後、あっという間に遺産を使い果たしてしまうはずです。
子どものためにと思ってしたことは、裏目に出て、逆に子どもを苦しめかねません。
本当に気が利く親は、子どもに考えたり苦しんだり悩んだりする経験をわざと与える親です。
そばで見れば「面倒見が悪い」「気が利かない」と思われることもあるでしょう。
たしかに子どもが大けがをしたり、命に関わったりすることなら、親の手助けが必要です。
しかし、そうした最低限の安全面さえ考慮していれば、親は子どもの将来のために、試練を与えるほうがいい。
かわいいわが子だからこそ、あえて課題を与える。
あえて子どもが考えたり苦しんだり悩んだりしても、ほうっておきます。
子どもが一生懸命に悩みもがいたあげく、解決できないとわかったとき、親がそっと手を差し出すだけで結構です。
そうすることで、子どもは考える力や生きる力を養っていきます。
本当の意味で、親がいなくなっても生きていける子へと育つのです。