学生時代思い出すお説教は、日が暮れるまで先生から叱られた経験です。
小学6年生のころのある日の放課後です。
みんな「さようなら」と下校しているのに、私はずっと叱られていたことがありました。
もちろん私が悪いことをしているから、叱られているのは仕方ない。
叱られるのは仕方ないにしても、異様に長いです。
先生に付きっきりで、1時間以上ずっとお説教をされたことがありました。
当時は「だらだら長いなあ」と思ってばかりでした。
その出来事があってから、その先生に苦手意識ができて、近づきにくくなりました。
その先生とは、小学校を卒業するまで一言も会話を交わすことはありませんでした。
「また叱られるのは嫌だ」
叱っている先生は、生徒のことを思っていたのでしょう。
それはわかりますが、やはりあまりにだらだら長すぎるのもよくありません。
「もう長いお説教はごめんだ」と思ってしまいます。
そういうトラウマのような印象が深く残り続けます。
叱る側は、一度で済ませたい気持ちがあります。
同じことを二度としてほしくない気持ちも強いのでしょう。
そうした気持ちが込められているため、お説教はついだらだら長くなってしまいがちです。
これはなかなか本人が気づけない。
だからこそ注意ポイントです。
だらだら長いお説教は、決まって失敗します。
相手には「だらだら長いなあ」という印象しか残りません。
さて、一方で気持ちのよいお説教もありました。
先ほどと逆のパターンで「短いお説教」です。
間違った部分だけを指摘して、さっと終わりです。
ほんの数秒。
「え、これだけ」と思います。
叱られるのは誰でも嫌ですね。
おそらく先生は、生徒に嫌な気分をさせないために工夫をしてくれたのでしょう。
そういうのは不思議と生徒に伝わります。
先生が生徒のためを思って指摘してくれ、なおかつ気分を害さないように短くしてくれた感謝は嬉しく思います。
そうした先生のケアにも答えたい気持ちが強くなり、前向きに考えられるようになります。
お説教は、短いほどためになります。
同じことを何度も繰り返し言ったり、だらだら叱り続けたりしないことです。
叱ることは最小限にしましょう。