私は気づけば、本を150冊以上書いています。
200冊目も、目前に迫っています。
これだけ書いていて不思議ですが、たくさん書いた感覚はありません。
気づけばこんなに書いていた、という感覚です。
私の場合はいつも早朝に起きて、執筆をしています。
いろいろな生活リズムを試しましたが、運動・勉強・執筆にしろ、朝はゴールデンタイムということを知っているからです。
その早起きの生活が長年続いているので、完全に習慣になってしまい「生活の一部」になっています。
高校時代は体操部だったので、早起きをして、筋トレをしていました。
留学時代は、早起きをして、朝の散歩をしながら英語のリスニングをしていました。
今は早起きをして、本を書いています。
もはや「早起き」という言葉を使うのすら、恥ずかしいくらいです。
それが、もう完全に習慣になっています。
目覚まし時計がなくても、朝の4時や5時には、自然と目が覚めてしまいます。
朝の4時や5時に起きるのは普通すぎて、深夜2時くらいに起きて、ようやく「今日は早起きしたなあ」と思うほどです。
「早起きをして何をするか」は大切です。
早起きをして勉強するのが習慣になってしまえば、勉強も当たり前の習慣になり、特別なこととは思わなくなります。
「生活の一部」になります。
生活の一部になってしまえば、しめたものです。
運動や勉強は、無意識のうちに、自動的に進むようになります。
だから私は150冊以上も本を書いておきながら、それほどたくさん書いたという気はしません。
本を書くのがトイレに行くほど当たり前で「たくさん」という感覚がありません。
当たり前すぎて特別なこととは感じませんが、毎日続けている事実は変わりません。
気づけば膨大な量をこなしたり、経験を積んでいたりします。
当たり前の習慣ほど、心強いものはありません。
早起きさえ習慣になれば、勉強は後からついてきます。
「早起きをしています」と言っているうちは、まだダメです。
早起きをしていても、当たり前の感覚になって、OKなのです。