未熟なうちは「自分は未熟者」と思っておくことです。
そして素直に公言しておくほうがいい。
見栄や体裁は気にしません。
人の目が気になっても、無理に自分を大きく見せないことです。
謙虚で腰の低い姿です。
分相応をわきまえている姿です。
未熟者という自覚があれば、常に一生懸命でいられます。
油断が生まれず、常に緊張感が漂います。
向上意欲の炎が燃え続け、諦めない力を保てます。
若々しい心で真面目に取り組めます。
ゆっくりであってもきちんと物事を吸収でき、着実にスキルが上がっていくでしょう。
スキルが上がっていくにつれて振る舞いが洗練されていくでしょう。
では、未熟の域を超えたらもう言わなくていいのかというと、それは違うのです。
たとえスキルが上がって未熟の域を超えたとしても「未熟者です」と言い続けておくほうがいいのです。
未熟なうちはもちろんですが、スキルが上がって上達しても「未熟者です」と思っておくのが賢明です。
「私は熟達している」
「完全にマスターした」
「すべてを知り尽くした」
そう思い始めたら終わりです。
自分は完全完璧と思い始めたら、後は下降線しかありません。
自信に満ちあふれる反面、大きなリスクが生じ始めます。
大切なポイントは「慢心があるかどうか」です。
プロ意識を持つのはいいのですが、そこに慢心があると話が変わります。
初心を忘れて、惰性と油断が生まれます。
「もう学ぶことはないね」となり、勉強意欲や向上意欲の火が消えます。
周りを見下すような態度が出てきます。
積極的に動くことも減っていき、現状維持どころか低下に向かっていくのです。
いつまでも自分は未熟者と思うことです。
普通に思うだけでは不十分です。
嘘偽りなく、心の底から本気で思うことが大切です。
たとえ周りからプロと呼ばれるようになっても調子に乗らないことです。
プロ意識を持ちつつも「まだまだ未熟者」と思い続けておくことです。
矛盾しているようですが「プロ意識」と「未熟者」という2つの心を共存させることです。
いつまでも自分を未熟者と思えば、油断することも慢心することもありません。
勉強意欲や向上意欲の火が消えることもありません。
「まだまだ学ぶことがある」「まだまだスキルを上げることができる」と、ファイティングポーズを取り続けていられます。
未熟というのは青臭く思うかもしれませんが、実際は違います。
青臭いのではなく、若々しく力強いのです。
青春という字は「青い春」と書きます。
未熟なうちが青春です。
一生涯の未熟者になれば、一生涯の青春が続きます。
未熟者と思っているかぎり、成長が止まることはありません。
初心を忘れることがなくなり、若々しい心を維持できます。
成長のスピードが遅くなっても、止まることはなく、少しずつ成長できます。
明らかにプロという人が「まだまだ未熟者です」と慢心しない姿がかっこいいのです。
本当の熟練者ほど「まだまだ未熟者です」と言います。
慢心しない姿勢があるから一流であり、そういう人こそ本物のプロです。
いつまでも自分は未熟者だと思っておくことです。