メモを取る際、こだわりやすいのが「きれいな字」です。
少しでもきれいな字でメモを書こうとしていませんか。
なぜ私たちは、きれいな字でメモを書こうとするのか。
「きれいな字で書いたほうが読みやすい」
「誰かが読むかもしれない」
「汚い字は、誰かが見たとき、悪印象がありそう」
見栄や体裁を気にして、きれいな字を好む人もいるかもしれません。
さまざまな不安や心配が出て、きれいな字で書こうとする人も多いのではないでしょうか。
もちろん読みやすい字で書こうとするのは立派な心がけです。
「汚い字ときれいな字のどちらが読みやすいか」と聞けば、100人中100人が「きれいな字」と答えるはずです。
誰かに読まれることがあっても、きれいな字のほうが読みやすくて好印象でしょう。
字がきれいだと、書いた人の心まできれいに見えてくるから不思議です。
しかし、メモは、きれいな字にこだわる必要はありません。
人に読んでもらうためのメモなら別ですが、あくまで個人的なメモなら、汚い字で問題ありません。
ミミズのような字で大いに結構。
極端に言えば、自分が読めるなら、どんなに汚い字でもOKです。
むしろ「きれいな字で書いてはいけない」と言っても過言ではありません。
字のきれいさにこだわらなくなれば、メモを取る心理的障壁が低くなります。
メモ帳を開くストレスが小さくなります。
メモを書くスピードも速くなります。
フットワークが軽くなるため、急にアイデアがひらめいても、逃さずメモしやすくなります。
汚い字で書いてこそ、メモらしくなります。
見栄を張ってきれいな字を書いても仕方ないのです。
思い出してください。
作家や学者のメモは、汚い字が特徴です。
もはや読めないくらい汚い字です。
汚い字だからこそ、ひらめいたアイデアを書き留めやすくなります。
芸術資料館に行くと、芸術家たちの当時のメモや手記を見ることができますが、やはり汚い字が定番です。
ところどころ絵の落書きが含まれていることもあります。
メモの可能性を引き出すなら、きれいな字より汚い字のほうが適切です。
見た目の美しさにこだわらなくなったとき、心のフットワークが軽くなり、潜在的な能力を発揮できます。
汚い字ほど、優れたメモになるでしょう。