学問していると、悪口を言われるようになります。
みんなと同じであることが美徳と思っている日本人は、少し変わった人を特別視します。
でも、本当は、変わっていることこそが、美徳です。
好きな学問していると、いつか必ずそうなります。
「自分の学問は打たれるほど、杭が出た」と喜びましょう。
出る杭はよく打たれますが、好きなことを貫きましょう。
出る杭は打たれますが、出すぎた杭は打たれません。
熱意に驚き、何も言わなくなるのです。
私は、この経験を母親から受けました。
小学校2年生のころ、ある本屋で鉛筆を見ていたときのことです。
「お菓子を買って」というおねだりにはいつも反対する母ですが、鉛筆などの文房具を買うときは、笑顔を見せます。
勉強のためなら、いくらでもお金を出すといいます。
たしかに母は、勉強に関係するものなら何でも買ってくれました。
子どもの勉強を思ってのことです。
本やノートは、無条件でショッピングカートに入れさせてもらえます。
しかし、小学校2年生当時、勉強が嫌いでした。
学校から出される勉強は面白くないし、楽しくないのです。
それから長い月日が経ち、勉強に対する考えが変わるときが来ます。
高校1年のときです。
私は体操部に所属していました。
将来は、体操で食べていければいいかなと思っていました。
それが高1の冬、ある1冊の本がきっかけで勉強に目覚めました。
勉強をし始めたというよりは、勉強に目覚めました。
勉強に対する前向きな考え方を知り、勉強が急に楽しくなったのです。
たった1冊の本がきっかけで、人間変わるものなのです。
それから私は猛烈に勉強するようになりました。
勉強は、すればするほどできます。
当たり前のことですが、それに気づき、楽しくて仕方ないのです。
ぐいぐい成績が上がり、勉強に拍車がかかります。
ついに英語と数学はクラスで一番になり、通知表で100を取ったこともあります。
参考書や問題集など、たくさんの本を母に買ってもらいました。
母は最初、私の勉強に対して寛大でした。
しかし、高校3年になり、進路決定するときのことです。
希望する進路は、レベルの高い国立大学でした。
大学受験までには足りないことが多くあり、大学受験に失敗しました。
浪人時代が始まりましたが、勉強に対する姿勢は変わらず、勢いを持って勉強していました。
存分に勉強ができて、本当に楽しかった時期でした。
苦しさもありましたが、それ以上の学ぶ楽しさがありました。
さらに進路変更があり、浪人生から留学生になります。
それからアメリカ留学で、私の学問が爆発します。
大量の本で、毎日「学ぶ楽しさ」で、幸せにあふれてしまいました。
そのときからです。
すごい量の本に比例し、一転して母の怒りが飛んでくるようになります。
学問しすぎて、悪口を言うのです。
「そんなにお金使うんやったら、いいかげん勉強やめて、日本に帰って、実家で畑でも耕してなさい」
それに対して、私はいつもこう謝っていました。
「たくさん勉強しすぎて、ごめんなさい」
私は母に「勉強しろ」と言われ、一方で「勉強するな」と言われてきました。
このおかげで、後に私は人生の矛盾に対して免疫を持つことになります。
学問していると、いずれ悪口を言われるようになります。
手を抜いているときは、さほど言われませんが、真剣になって取り組み始めると、時間もお金もそれだけかかります。
そのために、周りの人がぶつぶつ言ってくるようになります。
悪口を言われても、自分の「好き」を貫くことです。
悪口を言ってくるのは、友人かもしれません。
先生かもしれません。
親かもしれません。
悪口くらいで「好き」を諦めては、幸せな人生を諦めてしまうことになるのです。