社会の世界は、学問の世界に当たります。
社会は、たくさんの「学び」と「問う」ことの塊です。
学校の勉強は「暗記」です。
社会の学問は「気づき」です。
学問は、気づくことから始まります。
「なぜだろうか」が「知りたい」に変わります
そこから次の「問う」が始まります。
学校の勉強は、暗記です。
暗記できていれば、卒業できます。
考えなくても、暗記ができれば優等生です。
πの3.141592を暗記できていれば、点数がもらえます。
しかし、社会では、考える人が成功します。
πを暗記しなくても、人に聞けばいいのです。
人に聞けなければ、本で調べてもいい。
本がダメなら、インターネットで調べてもいい。
このように気づき、考えて、応用する人が成功します。
考えなければ、応用できません。
社会では、あらゆることが学問になります。
人付き合い、仕事、遊び、気分転換、一人暮らしなど無限にあります。
それは気づかないと始まりません。
私は人付き合いに関しては、人一倍に気を使っています。
気を使っているため、人付き合いのいろいろなことに気づきます。
たとえば、友人が私の部屋に遊びに来ました。
私の部屋には、パソコンがあります。
友人が勝手に私のパソコンをいじり始めました。
勝手に私のパソコンをいじられると、嫌な気持ちになります。
一言でいいから「使ってもいいですか」と聞いてほしかったのです。
このとき、気づきました。
「私も友人の部屋に行ってパソコンを使わせてもらうときには、一言許可を得てからにしよう」と気づきました。
これに気づかなければ、それまでです。
しかし、これに気づくことができれば、成長ありです。
気づくことで成長できるとは、こういうことです。
社会では、気づくところは無限にあります。
社会の学問は、気づきから始まるのです。
暗記より、気づく人が成功できるのです。