「余命宣告」という言葉があります。
重い病気で治療の施しようがないとき、病院の医師から、残りの命について聞かされます。
「余命はいくばくもありません。もって、あと半年です」などと言われます。
余命を宣告された人の行動は、意外にも前向きです。
自暴自棄になるより、残り時間を楽しもうとする生き方が多いものです。
泣いたり悲しんだりした後は、覚悟を決めたかのような生き方になります。
どうしても治らない病とわかっていますから、死ぬ前に、残り時間を楽しもうとします。
家族との時間を過ごしたり、思い切って旅行をしたりするでしょう。
今までお世話になっていた人に手紙を書く人もいれば、死んだ後のために、遺産管理について考える人もいるようです。
余命を宣告するのは、本人のためです。
人に、最後の活力を与える力があります。
ただし、余命宣告は、重い病の人だけ宣告されるものではありません。
本当のことを言えば、私たちはすべて、余命宣告されています。
私たち全員「死」という逃れられない事実があります。
本当は生まれた瞬間に、人生から「余命はいくばくもありません。もって、あと80年です」と余命宣告されています。
人生を80年と仮定すると、20歳の人の余命は、60年です。
30歳の人の余命は、50年です。
40歳の人の余命は、40年です。
余命が長いため実感が薄いですが、すべての人に確実な死があります。
余命があるのは、たしかです。
「自分は余命宣告されている」と思うことです。
余命宣告されている自覚ができた瞬間、今この瞬間から、生き方が変わります。
死を意識することは、人生を意識することです。
無駄な我慢はやめて、やりたいことをやり、悔いのない人生を終えようと思うはずです。
どうせ最後は死ぬのがわかっていますから、死ぬ前に生きている時間を楽しむことが大切です。
家族との時間を過ごしたり、思い切って旅行をしたり、お世話になった人に手紙を書いたりしてみましょう。
余命があるうちに、残りの人生を、悔いなく生きるのです。