「手に入れること」と「気づき」は、まったく異なるように思えますが、本質は同じです。
どちらも、本人の元気につながることだからです。
結果としては、どちらも同じ元気につながります。
しかし、私たちは物質的な欲求に偏っているようです。
手に入れて、初めて元気になり、幸せになれると思っています。
しかし、この方法で生きていくことは、時間とお金がかかります。
「新しいものを手に入れること」は、物質的な制限の問題もあります。
机を手に入れ、家具を手に入れ、人形を手に入れ、喜んで元気になります。
次から次へとたくさん手に入れていくと、ついには部屋が物でいっぱいになります。
自分の部屋は、寝る場所さえなくなってしまうでしょう。
食事をして元気になるということもあります。
だからとはいえ、たくさん食べればいいわけではありません。
食べすぎると太ってしまい、逆に病気になります。
得ると幸せになれる方法では、狭くなったり、重くなったり、病になったりします。
そのうえ、物質的欲求を満たす方法は、限界があります。
しかし「気づくこと」に関しては、どれだけたくさん気づいても邪魔にはなりません。
どれだけたくさん気づいても重くならず、邪魔にならず、病になるということもありません。
「私には健康がある」
「友人がいる」
「携帯もあるし、机もある」
「そして命がある」
得ることで幸せを感じようとするのではなく、すでにある幸せに「気づくこと」によって元気になるのです。
落ち込まない人は、すでにある幸せを振り返る習慣があります。
「あれも欲しい、これも欲しい」という考えではなく「私はすでに幸せに囲まれている」という気づきによって幸せになっています。
すでにあるのですから、特別なことがなくても、日頃から元気なのです。