家族の愛に恵まれなかった人には、愛の代替品であるお金を求めたがる傾向があります。
私は今まで、数多くの人たちを見てきましたが、この傾向は大変によく当てはまります。
「お金が欲しい。世の中、お金がすべてだ」と叫んでいる人ほど、家族との仲が悪いものです。
あるいは、1人親であったり、親が離婚したり、生まれつき両親が共にいないといった人です。
人間による社会活動の根底は、愛です。
愛を求める行動によって、人間は動き、行動します。
友人を作ろうとすることも、地位や肩書を欲しがる欲も、美しくなりたい欲も、すべては「愛されたい」欲求が根底にあるのです。
友人を作って仲良くなれば、愛を感じることができます。
地位や肩書を手に入れることで「すごい!」と称賛され、認められたいと願うことも、愛を欲しがっているからです。
美しくなりたい欲求も、多くの異性に振り向いてもらい、愛を手に入れたい欲求があるからです。
活動や行動はさまざまな種類がありますが、すべては根底に「愛が欲しいから」という理由が原動力になっています。
親の愛がなく育ってきた人は、愛の代わりの働きをするお金を欲しがろうとします。
愛がなければないほど、お金を手に入れようとする気持ちも大きくなっています。
お金さえあれば、食欲を満たし、性欲を満たし、自己満足を満たせます。
人間はこれを、愛を満たしていることと、勘違いしているのです。
たしかに愛のように「満たす」働きではありますが、本物の愛による満足とは別物です。
お金により欲望を満たそうとすることは、自分の中の愛を満たそうとしている活動の表れなのです。
愛が欲しいから、愛と似た働きを施してくれるお金を手に入れようとします。
お金は、愛にとてもそっくりな働きをもたらしてくれます。
「お金お金お金」と何度も繰り返し、念仏のように唱えているのです。
私の知り合いに、お金のためだけに仕事をする人がいます。
仕事への愛はなく、ただお金さえもらえればいいと思っている人です。
仕事を選ぶ基準も、好きな仕事ではなく、稼げる仕事という基準によって決めているそうです。
その人はいつも「宝くじに当たって大金さえ手に入れば、こんな仕事、今すぐやめますよ」と言っています。
つまらなさそうに仕事をして、職場の人間関係も大切にしていません。
私は彼を、お金を手に入れるために、目の前の愛を削っているように思えてなりません。
愛を感じるために、目の前にある愛を削ってお金を手に入れ、そのお金を使って愛を感じようとしています。
遠回りをしているのです。
仕事を通して、職場の人間関係を向上させていけば、愛を感じるようになります。
しかし、とにかく愛が不足しているからと、お金を手に入れることで頭がいっぱいなのです。
この悪循環を直すためには、どうすればいいのでしょうか。
まず親との関係を正しくすることです。
もつれをほどき、仲を深めることです。
そうすることで、親から愛を感じられるようになり、日常生活でお金のために必死になることはなくなります。