年を取ると、平凡な景色に感動できるようになります。
もちろん今までも感動はしていましたが、心の震え方がより強くなるのです。
子どものころは、花を見たとき「美しい」と思うことはあっても、浅いものでした。
深く感動するほどではありません。
「普通のきれいな花」と思って終わりです。
青空や夕日を見ても「きれいだな」と思うことはありましたが、心にじんと来るほどではありませんでした。
涙を流すほどではありませんでした。
「普通のきれいな青空」「普通のきれいな夕日」と思って終わりです。
子どものころは「きれいといえばきれいだね。でもだから何?」という、あっさりした感想や浅い感動が多いものです。
ところが年齢を重ねて、ある程度長く人生を生きると、感じ方が変わります。
以前より心の震え方が大きくなります。
真の感動を覚えます。
花を見たとき「うわあ、なんてきれいなのだろう!」と心から感動できるようになります。
そして時を忘れて見とれます。
青空や夕日を見たとき、普段と変わらない景色なのに、以前より深い感銘を覚えるようになります。
感動の鳥肌が立ちます。
涙がこぼれることも少なくありません。
花も青空も夕日も、数え切れないほど何度も見ているから見飽きるはずなのですが、逆に以前より感動が強くなります。
感動センサーが敏感になったかのようです。
なぜ年を取ると、感動が大きくなるのか。
「人生の残り時間」を意識するようになるからです。
私たちは長く生きるにつれて、人生の残り時間が短くなります。
若いころは、人生が無限にあるような気持ちで過ごしていました。
ところがある程度の年齢に差し掛かると、人生は有限であることをだんだん自覚するようになります。
すると、ものの見方が変わります。
「この花を見られるのも、あと何回だろうか」
「この青空を見られるのも、あと何回だろうか」
「この夕日を見られるのも、あと何回だろうか」
今まで無限に見られると思っていた景色も、実はそうではないことに気づかされます。
無限ではなく、有限だとわかる。
だから、深い感動を覚えるのです。
余命宣告をされた人が、当たり前のことに感動するようになるという話がありますが、それと同じことです。
有限を意識すると、平凡なことでも当たり前のことでも、以前より感動できるようになるのです。
感動を増やすために「人生の残り時間」を意識してみてください。
「これを見られるのはあと何回だろう」と思うようになります。
おのずと日常の感動が増えます。
花でも青空でも夕日でも、普通の風景に感動を覚えるようになります。
お盆や正月で帰省するときも「親と会えるのはあと何回だろう?」と思えば、自然と感謝の念が湧き、しみじみするはずです。
意識改革は若い人でも可能です。
人生の残り時間はまだまだたくさんありますが、永遠ではありません。
人生は有限です。
命があるものの宿命として、いつかはこの世を去る日がやってきます。
不慮の事故で急に亡くなる可能性もゼロではありません。
若い人でも、人生の残り時間を意識すると、世の中の見え方が変わります。
人も風景も、食事も運動も、仕事も遊びも、すべてです。
何気ないことがいとおしく感じられます。
一つ一つのことに感動を覚え、感謝したくなります。
身の回りの感動が増えるのです。