厳しくするのが悪いのではありません。
時には人に厳しくすることも必要です。
親が子どもを育てるとき、時には厳しくすることも必要でしょう。
ぴしゃりと言わなければ伝わらないこともあります。
上司が部下に指導するときも、厳しくなければいけないときがあります。
ところが厳しくても「愛される人」と「嫌われる人」がいます。
指導が上手か下手かではありません。
同じ厳しさでも違いが出るのは、そこに「愛」があるかどうかです。
厳しいだけの人は嫌われます。
厳しくて嫌われる人は、愛がないからです。
怒りを発散させているだけです。
相手に感情をぶつけているだけです。
理性が失われ、感情だけになっています。
愛のない厳しさは、痛みと恐怖しかありません。
ひたすら痛みと恐怖だけが襲ってきて、ストレスに苦しむばかりです。
痛みと恐怖で頭がいっぱいになると、指導の言葉も頭に入ってこなくなります。
話の内容についても「私、私」ばかりです。
「私に迷惑をかけるな」
「私を不快にさせるな」
「私の仕事を邪魔するな」
厳しいといっても、結局のところ自分本位で、自分のことしか考えていません。
それはきちんと相手に伝わります。
愛のない厳しさは、相手にとって不快感しかありません。
「近寄りたくない」「もう関わりたくない」「大嫌いだ」となり、避けられ拒まれ逃げられます。
嫌われて当然なのです。
厳しいのに嫌われない人がいます。
それどころか愛される人がいます。
厳しくても愛されるのは、そこに「愛」があるからです。
厳しくてもそこに愛があれば、相手に伝わります。
愛があれば、言葉の節々に「私、私」ではなく「あなた、あなた」が含まれます。
「あなたの仕事のため」
「あなたの成長のため」
「あなたの将来のため」
それは愛がないとできないことです。
「あなた、あなた」が伝わると、相手は「私のために叱ってくれている」と感じます。
愛があれば、態度や言葉遣いが多少悪くても、好意的に受け止められます。
厳しくてもその人のことが嫌いになれず、むしろ好感を持つのです。
厳しくてもいいのです。
ただし、人に厳しくするときは、愛を持って接することが条件です。
厳しくするのは相手から嫌われる可能性が高い行為ですから、慎重になる必要があります。
大切なのは「厳しさの中に愛を持つこと」です。
それは「私、私」ではなく「あなた、あなた」です。
厳しさの中に愛があれば、嫌われることはありません。