私は以前、嬉しい気持ちと罪悪感が入り交じる、とあるジレンマに陥ったことがあります。
飼っている犬に、あれこれとしつけていたときのことです。
「トイレはここでしてくれればいいな」
「こういう犬に育ってくれるといいな」
一生懸命にしつけていました。
しかし、しつけをしていた瞬間、ある考えが思い浮かび、自分に問いかけました。
「私のしつけは、犬の生き方をダメにしているのではないだろうか」と思いました。
しつけをし始めると、どんどんこうしてほしいという要望や欲が強くなります。
最初は、トイレのしつけや簡単な芸を覚えさせていました。
犬は賢い動物です。
飼い主との良好な関係が築けていれば、時間はかかりますが、いずれ言うことを聞いてくれるようになります。
渋谷の忠犬ハチ公のように、飼い主に忠誠を尽くしてくれるようになります。
しかし、あれこれとしつければしつけるほど、犬の行動を制限することになります。
実は私の場合、子どものころ、親からの厳しい教育に悩んだことがあります。
親としては、将来子どもが苦労せず、素晴らしい人生を歩んでくれるように教育に力を尽くします。
その熱心さは「適度」ならいいですが「過度」になると子どもは嫌になります。
強く縛られた束縛は、居心地がいいものではありません。
親から「ああしろ、こうしろ」という命令に、本当に嫌気が差していた時期がありました。
犬を一生懸命しつけている際、そんな過去の自分と重なりました。
「犬のためにしつけているが、少しやりすぎてはいないだろうか」と。
それからというもの、犬を厳しくしつけるのは控えるようになりました。
犬の将来を思って覚えさせたいことはたくさんありますが、度が過ぎると毒になります。
言われたことしか行動できないのでは、ロボットのような生き方になるでしょう。
飼い主に従順すぎるのは、犬の生き方や可能性までも制限している気がして、悲しい気持ちになります。
それは私も似たような経験をしたことがある分、気持ちがよくわかります。
それ以来、私は犬を徹底的にしつけるのはやめました。
もちろん他人に迷惑がかからない最低限のしつけはきちんとします。
他人に飛びかかったり、無駄吠えをやめさせたりなど、迷惑になるようなことはしつける必要があります。
しかし、迷惑さえかけなければ、ある程度犬に自由を与えるようにしました。
人のいない場所なら、たまには大声で吠えてもいい。
たまには思いきり穴掘りもさせてあげたい。
思いきり飼い主に飛びかかってきてもいい。
そういう自由があってもいいと思います。
自由に動き回れる環境をたまには与え、犬の成長を促してあげようと思ったのです。