「熟年離婚」という言葉を聞いたことがありますか。
長年連れ添った夫婦が、熟年期になり、突然離婚する現象のことを言います。
夫、あるいは妻から、急に離婚の話を持ち出します。
何十年も長く連れ添っているなら、もう絶対離婚なんてあり得ないほど仲がいいだろうと思います。
しかし、そう思うのは早合点です。
熟年離婚で最も多いケースは、実は「喧嘩をしたことがない」というパターンです。
何十年も一緒に暮らしてきて問題なく過ごしている。
にもかかわらず、人生の区切りがついたときに、片方が「離婚します」と離別を申し出ます。
なぜこうなってしまうのでしょうか。
不満がなかったのではありません。
「不満はあったが、言えない環境が続いていたから」です。
離婚に至るケースはさまざまですが、これが最も多いケースです。
たとえば、一般的には「夫は働き、妻は家で家事や子育て」というケースが多いです。
ただし「一般的」であって「絶対」ではありません。
法律で決められているわけでも、義務でもありません。
夫婦がしっかり話し合ったうえで得られた理解や同意なら、問題ありません。
問題なのは「夫は働くものだ」「妻は家事や子育てをするものだ」という固定観念を、一方的に押し付けたりする場合です。
夫は「妻とは家事や育児をするものだ」と押し付ける。
妻は「夫は、会社で働き、稼ぐものだ」と押し付ける。
夫、あるいは妻が「そうするものだ」と固定をして考えてしまい、型にはめた考えや生き方を強要してしまうことがあります。
そういうことを押し付けてしまうと、関係がぎくしゃくします。
「常識」「一般的」「風習」とは怖いものです。
そうした風習の仲に「男尊女卑」のような差別が含まれているから、なお厄介です。
一昔前では「妻は夫に従うものである」という男尊女卑のケースさえありました。
社会的に広く認知されているので言いやすいし、逆らいにくい。
「そういうものだ」という考えは、実に卑屈です。
男性の中には、家で主夫をしたり子育てをしたりという人もいるでしょう。
妻の中にも、積極的に社会に出て、思いきり働きたい人もいるでしょう。
問答無用でそうした考えを押し付け、言われたほうが言い返せず、ただ従うだけ。
たとえ言い返したくても、子どもがいて、世間体などもあり、言い返したくても我慢をしている。
しかも結婚生活が長くなるほど言いたいことが言えない、といった雰囲気が出てきます。
長年のため込んだストレスが、人生の区切りに爆発してしまいます。
「熟年離婚なんて、自分たちには当てはまらない」
人ごとだと思わずに、自分たち夫婦にも当てはまるふしがあるのではないか、振り返ってみましょう。