生まれたばかりの赤ちゃんは、がらがらというおもちゃで遊びます。
がらがらと音のなる遊具に、赤ちゃんはこれ以上ないほどの楽しみと喜びを感じ、手放しません。
まったくもって、がらがらに執着します。
しかし、より価値の高いものを探すのが人間です。
赤ちゃんが、10歳くらいになると話は変わります。
がらがらを手放し、もっと楽しいテレビゲームをするようになります。
奥深いテレビゲームは、がらがら以上に楽しくて面白く、価値が高いと感じます。
さらに成長して高校生になれば、次は読書を楽しむようになります。
テレビゲームは仮想的ですが、読書は現実的です。
読書をすれば、実生活にその知識と知恵が生かされるため、テレビゲームより楽しく面白く感じるようになります。
読書のほうが、より価値が高いと感じるようになります。
同時に今まで執着していたテレビゲームを手放すことができるようになります。
客観的に見れば、成長とは「価値観の変化の連続」です。
成長がきちんとできていれば、もっと価値の高いことを見つけ、同時に執着していたことが、ある日、価値がないように思えます。
本人の成長があれば、本来「価値観」は変わっていくものです。
価値観が変わってこそ、成長です。
「今以上に価値の高いもの」を見つければ、今まで執着していたことを手放せます。
「これが一番だ。どうしても手放せない」は、まだそれ以上の楽しみを見つけることができていないだけです。
自分にとって、より価値の高いものを見つければ、今までの執着はあっさり手放せます。
変わってこそ、成長です。
価値観の変化は、成長ができている証拠です。
成長とは、手放すことができるようになることです。
いつまでも同じものに執着しているのは、赤ちゃんのころに遊んでいたがらがらを、大人になっても遊び続けていることと同じです。
成長ができていないということです。
成長ができていれば、より価値の高いものを見つけ、今まで執着していたことを手放すことができるはずなのです。
今まで執着していたことをある日、あっさり「いらない」と言えるくらい、より価値の高いものを見つければいいのです。
それが、自分を変える、人生を変える、運命を変えるということです。