突然ですが、わたくしごとを、1つ紹介します。
衝撃的な内容になりますが、お許しください。
私の祖父は、飛び降り自殺により、この世を去りました。
実際として、苦しみを耐えられなくなって飛び降りた状態です。
その耐えられない我慢とは「肺気腫」という病でした。
肺の酸素を取り入れる機能が正常に働かなくなる病気です。
もちろん正常に働かなくなる理由があります。
それが、タバコでした。
祖父は、若いときからタバコを吸っていたそうです。
長年のタバコの習慣がたたり、70歳ごろに肺の機能が低下します。
タバコを吸いすぎたため、肺の肺胞の機能が低下してしまい、いくら呼吸をしても酸素を取り込めない状態になりました。
そのため、マラソンで走っているときのように、いつも一生懸命に呼吸をしている状態でした。
走っていないにもかかわらず、呼吸が荒く、息苦しそうでした。
孫から見て、本当につらそうで、目を当てられない現実でした。
生き地獄のようにも見えた。
その結果、日頃から祖父は「もう死にたい」とよく言うようになりました。
私が高校1年生のころです。
私の誕生日の7月7日を迎え、その日に家族で病院にお見舞いに行きました。
そのとき祖父は、私にこう言いました。
「『貴博の誕生日までは』と思って頑張ったぞ」
その言葉は「孫の誕生日まで頑張ったから、もういつ死んでもいい」というニュアンスにも聞こえました。
4日後、本当に亡くなりました。
病院から飛び降りて。
学校へ行こうとしていた早朝、病院から電話がかかってきます。
無言で父が私を引っ張って、車で病院へ向かいます。
入院をしていた部屋は病院の5階なのですが、いつもいるはずの部屋に祖父がいません。
「あれ、どうしたんだろう」
祖父が病を崩して、その看病や様態のために、急いで病院に向かったものだと思っていました。
私はまだ現実を把握できていなかったのですが、次に連れて行かれた場所でわかりました。
病院脇の、血痕が残る道路。
生々しい血がついた道路を見て「祖父は飛び降り自殺をして死んだ」と、ようやく状況を理解しました。
父も母も医者も、それを口にはしませんが、十分わかる雰囲気が漂っていました。
葬式を終え、変化があったのは、まず父です。
父も、ヘビースモーカーだったのですが、完全にタバコをやめるようになりました。
自分の親がタバコの吸いすぎにより、飛び降りて死んだという悲惨な現実を見て、吸わなくなったのです。
そんな祖父と父を見て育った私は、完全にタバコと無縁になっています。
私は祖父の現実を反面教師として受け入れ、タバコを吸わなくなりました。
もともとタバコに興味がないことに加え、祖父の様子を見て、私もタバコで苦しみたくないからです。
もう終わってしまったのですから受け入れるしかなく、生かすしかありません。
思い出したくない過去ですが、いまだにときどき思い出します。
タバコは体によくない事実を、祖父は身をもって教えてくれました。