常識の範囲内で考えていると、スピードが出せません。
「当たり前」という先入観に縛られ、思いきった発想や行動ができなくなります。
でも、本当は「常識」という壁は、あってないようなものです。
触ることも、ぶつかることもできません。
自分が「そこにある」と思い込んでいるだけです。
蜃気楼のように、あるように見えても、実はないのです。
スピードとは、誰も考えないような「非常識」で考えるときに出るものです。
非常識で考えるときに、先入観はなくなり、思いきったスピードが出るようになります。
本来、先入観はあってないのですから、障害もぶつかりそうで、すっと幽霊のようにすり抜けてしまうのです。
私は、いつも本を書くときには、非常識で考えるようにしています。
たとえば、常識で考えると「明るい性格は人に好かれる」と考えるところです。
しかし、思い切って非常識に考えてしまい「暗い性格が人に好かれる」と考えます。
誰もそんなことを考えません。
しかし、あえて非常識に書くのです。
すると、書けるものなのです。
暗い人には暗いからこそいい部分があり、非常識に書くと、新しい視点から見ることができるようになります。
非常識に考えていると、自分でも驚くような文章ができることがあります。
私が本を書く発想は、いつも非常識からです。
世間には、常識や先入観がありますが、自分から破ります。
今ある、常識を180度ひっくり返して書いてみると、それも正解になります。
100円玉の表が使えるなら、裏側も使えるはずです。
オセロの表が使えるなら、裏も使えるのです。
オセロのように「どんどんひっくり返している」という状態です。
今ある常識を、ひっくり返して非常識に考えると、新しい発想が生まれ、それも常識になります。
すると、非常識であるだけに、ほかの人が書いていないような内容を書くことができるようになります。
みんな、常識を守りすぎて、硬い文章になっています。
当たり前すぎるのです。
「常識を破ってはいけない」というルールに、忠実になりすぎています。
しかし、常識を破っても、私のように書けるのです。
先ほども言いましたが、常識はあってないようなものです。
自分が「そこにある」と思い込んでいるだけです。
思い切って非常識に行動すると、すり抜けてしまい「本当はなかった」と気づきます。
「当たり前」と「そんなことをしてはいけない」という常識の板挟みになっていませんか。
挟まれるから動きにくくなり、スピードが出ないのです。
「当たり前」と「そんなことをしてはいけない」常識を破ったときに、自由が手に入り、スピードを出して進むことができるのです。