世の中には、科学的に証明されていないことがあります。
たとえば、幽霊の存在、あの世の存在、神様の存在などです。
あなたはこれらの存在を信じますか。
もちろん科学的に証明されていないことですから、信じる・信じないは個人の自由です。
科学的に証明されていなくても、信じている人はいるでしょう。
科学的に証明されていないから、信じていない人もいるでしょう。
中には「なんとも言えない」という中間の意見を持つ人もいるはずです。
「きっとあの世や幽霊は信じていない」と主張する人もいれば「神様はいると信じている」と主張する人もいるでしょう。
科学的に証明されていないせいでしょうか。
重要度が低くて、軽く扱いそうになります。
きちんと証明されていないのだから、けなそうと笑おうと大丈夫だろうと思ってしまう。
しかしここに、私たちが見落としがちな注意ポイントがあります。
科学的に証明されていないとはいえ、話題の取り扱いには十分な注意が必要です。
非科学的なこととはいえ「信仰」「宗教」と同等の重要性があるからです。
幽霊といい、あの世といい、神様といい、あらためて考えると、信仰や宗教が絡む重いテーマです。
非科学的なことは、科学的に証明されていません。
科学的に証明されていないからこそ「信仰」「宗教」と同じ扱い方をされます。
相手の価値観を否定すると、相手の信仰・宗教を汚すことになり、相手は強い不快感を覚えるでしょう。
たとえ軽くけなしたつもりでも、相手はひどくけなされたと感じます。
自分はそんなつもりはなくても、結果としてそういうことになります。
批判がエスカレートすると、ただの喧嘩で終わらなくなります。
本格的に争うと、宗教戦争になります。
現在、世界で起こっている宗教戦争を見てください。
人同士が殺し合いをしていますが、突き詰めると、科学的に証明されていないことが関わっているはずです。
科学的の証明されていないことは、個人の自由としましょう。
私たちは、信教の自由が保障されています。
科学的に証明されていないことですから、自分の思想として自由に発言できます。
科学的に証明されていないから、軽んじるのではありません。
科学的に証明されていないから、重んじるのです。
自分の価値観を述べるのはいいのですが、自分に一致しない相手を批判しないことです。
自分は信じなくてもいいので、相手の価値観を「認めること」が大切です。
ストレスやもどかしさを感じるかもしれませんが、気にしないことです。
相手の価値観を受け入れられなくても、認めるようにはしたい。
「そういう価値観を持っているのですね」
「なるほど。そういう考え方があるのですね」
認めることができれば、余計な争いに発展することはなくなります。