私たちは「いい人」になりたがろうとします。
「いい人だね」と言われて嬉しくない人はいません。
「いい人だね」と言われると、自分が認められたように感じて嬉しくなるもの。
気が進まないことがあっても「みんなから好かれたい」という一心で受け入れる。
いい人になるために、できるだけ寛大で温厚な振る舞いを心がけている人も多いのではないでしょうか。
しかし実際のところ、いい人になろうとすると難しい問題が発生します。
世話好きにならなければいけません。
誰に対してもいい顔をしなければいけません。
嫌なことでも、何でも嫌がらず受け入れなければいけません。
嫌われないように、どんな無理なお願い事でも聞き入れなければいけません。
自分のことは差し置いて、いつも相手の話に合わせなければいけません。
時には、嘘偽りの自分を見せなければいけないときもあるでしょう。
これではもはや八方美人です。
もはや自分らしさはありません。
自分ではない、誰かになっています。
完璧主義者なら「絶対いい人と思われなければいけない!」という強迫観念が生まれ、自分の首を絞めることになるでしょう。
どれだけいい人になっても、自分を見失っては意味がありません。
たとえいい人になることができても、今度は「自分らしくないのを何とかしたい」という、別の悩みが生まれるでしょう。
「10割のいい人」を目指すから、苦しくなるのです。
いい人になりたがるのはいいですが、自分を見失わないようにすることです。
いい人になりたいなら、心がけたい考え方があります。
「10割のいい人」を目指すのではありません。
「7割のいい人」を目指すのです。
10割のいい人を目指すのは非現実的であり苦しくても、7割のいい人であれば現実的で楽になります。
いい人らしくない言動があっても、3割までなら「よし」とします。
「たまにはいい人をやめてもいいよね」
「時には嫌な人になることもあっていいよね」
「たまには『いい人でない』と思われることもあっていいよね」
そう思えば、ストレスも減って、身も心も軽くなります。
自分の評価や評判を落とすことがあっても、3割までは許容範囲。
時には相手を不快にさせることがあっても、それで自分が保てるなら正解です。
自分を見失いそうになったら「いい人をやめる」という選択肢も大切です。
人生は、あくまで自分が主役ですから、自分らしく生きることが必要不可欠です。