忙しすぎる生活を送っていませんか。
忙しいことが、かっこいいことだと思っていませんか。
たしかに適度な忙しさは、その人に活気を与えてくれます。
しかし、間違ってもしてはならないのは「あまりに忙しすぎる」ということです。
忙しすぎる人生にだけは、ならないように気をつけましょう。
忙しすぎてしまうと、すべての幸せが感じられなくなるからです。
忙しいということは、もう幸せとは無縁になってしまう恐ろしいことなのです。
たとえば、1日に一息つく時間もないくらい忙しい人がいるとします。
毎日仕事に追われ、寝る時間さえないくらいです。
そんな人の目の前に、世界一おいしいケーキがあったとします。
しかし、残念ながら忙しすぎるため、ケーキを味わう暇さえありません。
ケーキを「食べる」というより「胃に流し込む」といった食べ方になります。
世界一おいしいケーキが食べられるなんて、幸せなことですが、忙しかったために幸せを感じる暇もなかったということなのです。
食べることだけに限りません。
人間関係にも同じようなことがいえます。
いくら仲のいい友人がいたところで、忙しくては会う暇さえありません。
どんなに仲のいい友人でも、会う時間がないくらい忙しいというのは悲しいことです。
「忙しすぎる」というのは、すべての幸せを帳消しにしてしまう悪魔の魔法なのです。
「忙しい」という漢字の左側の部分は、立心偏と呼びます。
立心偏は、もともと「心」を意味する漢字です。
「忙しい」という漢字は「心」を「亡くす」という意味から生まれました。
「忙しい」とは、心を亡くさせてしまう恐ろしいことなのです。
忙しすぎると、心が失われて、幸せがあっても幸せを感じる暇さえないからです。
ときどき「自分はこんなに忙しいんだ」とかっこつけている人を見かけます。
しかし、そんな人に限って「それで本当に幸せですか」と聞いても、なかなかよい答えが返ってくることはありません。
それもそのはずです。
幸せさえ、忙しくて感じる暇がないからです。
忙しすぎる生活を送ることは、不幸になってしまうことです。
心を静かにする時間を持ちましょう。
決して忙しいことを自慢するような人間にはならないことです。
適度に自分の時間を持てるということは、幸せを感じる時間もあるということなのです。