年を取って、いつの間にか変わってしまうのは話の長さです。
年を取ると、自然と話が長くなりがちです。
これは男性も女性もです。
なぜでしょうか。
それは長く生きた分だけ、身の上話も長くなるからです。
長く生きるほど過去の記憶ができ、たくさん話すことができるため、話もいつの間にか長くなってしまうのです。
この現象は自分では気づけません。
「あれも話したい。これも話したい」
思いつくままに次から次へと話をします。
もちろん長い話がすべて悪いわけではありません。
もちろん面白い話なら、もっとたくさん聞きたいと思いますし、時間を忘れて楽しむことができることでしょう。
しかし、そこに「だらだら」が加わるとよくないのです。
だらだらした長い話は最悪です。
泣きたくなります。
話を聞くほど、相手の元気を奪ってしまうというマナー違反です。
とにかくだらだら長い話は、眠くなります。
なぜこんなにつまらない話が次から次へと浮かんでくるのだろうかと疑問に思うくらいです。
同じことを何度も繰り返し、それもしつこく話をしてきます。
本人は「何て自分はよいことを言っているのだろう」と自意識過剰に陥ってしまっています。
しかし、聞かされている身にもなれば、かなり精神的につらいものがあるのです。
私が以前、ある40代後半の中年男性と話をしているときにも同じことが起きました。
話をしている流れから、自然と「仕事で成功するポイント」という話題になりました。
たまたまそういう話題になったため、自分なりの発言をしました。
「好きな仕事をすればいいのではないですか」
その一言が、地獄の始まりでした。
どうやら私の発言が気に食わなかったようです。
何が気に障ったのか、その男性は「いや違う。その考えは間違っている」という完全否定から始まり、話が延々と続き始めました。
「私はこう思う。経験のある私の言うことが正しい。俺が20代のころは……」
聞いてもいない自分の昔話を突然し始めてしまいました。
私は、昔話は好きですが、だらだらした昔話は苦手です。
自分の昔話と持論を持ち出して、延々と演説を始めたのでした。
自分の考えを否定されると、プライドや威厳に傷がつくことを恥と思い、いかに自分の「論」が正しいのかを延々と説明し始めます。
一方的な会話とは、まさにこのことです。
そのときは、19歳の男の子と一緒に3人で話をしていたのですが、その若者もとても迷惑そうな表情をしていました。
途中から私も若者も、話に反論すると余計に火がつくということに気づき、無難に聞く側に回ります。
マナーの悪い中年男性だけが、だらだら話をしていました。
私と若者は、お互いのアイコンタクトで、いかに話をやめさせようかと協力意識が働いていました。
こういうときのアイコンタクトは、超能力に匹敵するほど正確に意思のやりとりができます。
目の前に存在する、しゃべり屋さんを退治するために協力しようとする力は、すごいものがあります。
マナーの悪い中年男性は延々と1人で話すこと約1時間。
私と若者も、危うく眠ってしまうところでした。
終わったときの後味の悪さたるや、嫌な雰囲気だけが残っていました。
暗い沈黙の中、マナーの悪い男性だけが「どうだ。いい話だっただろう」と満足げな笑みを浮かべ、私は余計に疲れたのでした。