いらいらは、他人と比べることから始まります。
「あの人はいいなあ。羨ましいな。それに比べて自分は……」
相手と自分との違いを見つけ、落ち込みに結びつけてしまいます。
他人は他人、自分は自分ですから、比較はしないほうがいい。
しかし、あなたはこう思うでしょう。
「比べてはいけないことくらいわかっているよ。それができないから困っているのではないか」
たしかにそのとおりです。
他人と比べることがいけないことくらい、みんな、頭ではわかっていますが、なかなかできないから困っています。
そういう人は、次のことを心がけましょう。
いっそのこと、他人を見なければいいのです。
自然と比べてしまうなら、いっそのこと他人を見ないようにすればいいのです。
他人を見なくなれば、ほかの状況がわかりませんから、もはや比較のしようがなくなります。
いらいらしようとしても、落ち込もうとしても、比較ができなければ、しようがありません。
「他人を見なければ、誰を見ればいいのか」
自分を見ればいいのです。
他人を見なくなったとき、どこに目を向ければいいのかというと、自分に目を向けるのです。
自分に集中して、成長に集中すればいいのです。
他人を見なくなれば、比べることがありませんから、いらいらや落ち込みがなくなります。
そのうえ、自分に集中しているため、成長の伸びも早くなります。
気持ちはとても安定して、成長率が飛躍的に向上します。
わたくしごとを、1つ、告白します。
私は以前、ほかの作家と書き方を比べていた時期がありました。
「この作家のほうが自分より表現がうまいな」と落ち込んだり「この作家よりはうまく書けているな」と喜んだりです。
比べていたため、気分はとても不安定で、なかなか自分の文章に集中ができなかった。
集中は散漫で、注意は外に向いていました。
そこである日、一切の比較をやめてしまったことがあります。
ほかの作家を、もうまったく見ないようにしたのです。
今まで他人を見ていたエネルギーを、今度は自分に対して向けるようになったときです。
初めて「自分らしい文章」が書けるようになった経験があります。
他人を見なくなったとき、私はようやく自分が見えたのです。
自分は、外には存在しません。
内側に存在しているのです。
個性を引き出していくためには、自分の内側を掘り下げる必要があります。
比較をやめて、自分に集中するようになったとき「宝物はすでに自分の中にあったではないか!」と驚いたことがあります。
嬉しくて、笑ってしまいました。
探していた宝は、外にはなくて、自分の中にすでにあったのです。
それを見つけようともせず、比較の世界で探していたから、いつまでも見つからなかったのです。
それからというもの、私は自分独特の文体を表現するようになりました。
私の文章、文体、流れは、変わっています。
私もそれは、十分わかっています。
しかし、同時に最も自分らしい文章だと思っています。
この味に合わない人は読まなくていいと思っていますし、ただ合う人だけに読んでもらえれば、それでいいと思います。
比較しませんから、もう落ち込むことも、焦ることもありません。
善しあしの評価は人それぞれですから、自分は個性を徹底的に深く掘り下げていけばよかっただけです。
宝物は、自分の中にすでにあったのです。