彫刻で間違ったところを削ってしまえば、その間違いを生かして作品を作ればいいのです。
間違えて「もうダメだ。最初からやり直しだ」と思うのではなく、間違いの味を生かそうと思えばいいのです。
削りすぎた部分を味に変えてしまえば、立派な彫刻が出来上がります。
よい作品には味がありますが、その味は、失敗や間違いから生まれたものが多いものです。
私は作品を書いているときに、漢字変換を間違えてしまうことがあります。
しかし、後で読み直すと、間違った漢字のほうがよい味を出しているのです。
ある日「意志が固い」と書きたかったところを、間違えて「石が硬い」と書いてしまったことがありました。
パソコンの漢字変換では、よくあることです。
しかし、間違えて漢字変換してしまったことから、思いもしない新しい発想が生まれました。
修正せず、石という漢字のまま話を続けることがあります。
「生みの親」と書きたかったところを「海の親」と漢字変換してしまったこともあります。
間違えると「こういう考え方も悪くないな」と新たな発想が浮かんできます。
そういうことは、これまで何度もありました。
今ではわざと、間違えやすいように書いているくらいです。
私はスピードを大切に書いていますが、スピードを上げると間違えやすくなり、間違えると新しい発想が生まれやすくなります。
そうした間違いのおかげで、これまでたくさんの作品を書くことができています。
間違えたら、それを特徴に変えられないかと考えましょう。
間違ってしまえば、その間違いを味に変えて生かしてしまえばいいだけです。