テーブルマナーを身につけている人は、不思議なことに、知的に映ります。
テーブルマナーはあってもなくても、生きていけます。
どちらも「食べる」という行為に変わりはありません。
しかし、テーブルマナーをしっかり身につけている人といない人とでは、知的な印象が大きく変わります。
テーブルマナーを身につけることはなかなか大変なことです。
だからこそ身についている人には、それを学ぶだけの余裕があるのだなと感じ、かっこよく映るのです。
知的に、優雅に、美しく映ります。
どんなに頭が悪い人でも、テーブルマナーをしっかり身につけている人は、知的に映ってしまうという現実があります。
マナーのよさは、知的さを演出するために大切なことです。
一方、どんなに頭の良い人でも、マナーのない人は頭が悪そうに映ります。
学歴があっても仕事ができる先輩でも、マナーが悪ければ、それですべてが台無しです。
私は以前、ご飯粒を残している先輩を見て、幻滅をしたことがあります。
ご飯はほとんど食べ終わっているのに、小さなご飯粒だけが残っている下品な状態です。
農家で育った私としては、ご飯の1粒までお箸で食べることは常識です。
作ってくれた人へのマナーでもあります。
どうしても食べきれなくて残してしまうというなら、まだわかります。
しかし、ほとんど食べていながら、ご飯粒だけがまだらに残っている状態は、卑俗に映るのです。
ご飯の1粒まできれいに食べることは、基本的なテーブルマナーの1つなのです。